芭蕉の句


あかあかと日は難面もあきの風

出典は『奥の細道』。

 元禄2年(1689年)7月15日、芭蕉は高岡を出立。倶利伽羅峠を越えて、金沢に入る。

 卯の花山・くりからが谷をこえて、金沢は七月中の五日也。爰に大坂よりかよふ商人何処と云者有。それが旅宿をともにす。一笑と云ものは、此道にすける名のほのぼの聞えて、世に知人も侍しに、去年の冬、早世したりとて、其兄追善を催すに、

塚も動け我泣声は秋の風

   ある草庵にいざなはれて

秋涼し手毎にむけや瓜茄子

   途中吟

あかあかと日は難面もあきの風

『奥の細道』

金沢から小松へ向かう途中に詠まれた句。

旅愁なぐさめかねて、ものうき秋もやゝいたりぬれば、流石目に見えぬ風の音づれもいとゞしくなるに、残暑猶やまざりければ

あかあかと日は難面も秋の風
   仝


      旅行亭

   あかあかと日は難面もあきの風

新古今集「旅人の袖ふきかへす秋かせに夕日さひしき山のかけはし」是等の心にかよひ暮秋の風姿言外にありて祖翁生涯二三章の秀逸と袖日記に見えたり


 「奥の細道」は、金沢のことを書いてこの句を揚げ「途中吟」とする。そしてその次に小松の句を置いているから、「途中」は、金沢と小松の間と思われるが、「奥の細道」の、句の発表順を信用せぬ学者達は、これを金沢までの作だと云い、また、「途中吟」だと云うのに金沢市内の作だとも云う。

 穿鑿のしようがない。

 「あかあかと」を、私は明るいこととし、この句を、日中の明るい太陽を秋風がひややかに吹く、と解している。紅い夕日にしないのだ。


宮城県仙台市の榴岡天満宮

群馬県渋川市赤城町の沼田街道沿い、高崎市榛名町の榛名山番所跡

埼玉県ときがわ町の慈光寺、坂戸市の歴史民俗資料館

千葉県旭市の東漸寺、香取市の諏訪神社

神奈川県横浜市の池谷邸

静岡県浜松市の清竜中学校

長野県東御市の旧北国街道沿い、長野市の會津比賣神社宝蔵院

新潟県新潟市の佐潟公園

富山県富山市の水橋神社、南砺市の栖霞園

 小矢部市の小矢部川SA倶利伽羅峠

石川県金沢市の兼六園犀川大橋、小松市の小松天満宮

岐阜県岐阜市の旧家、揖斐川町の華厳寺、大垣市の興文小学校前正覚寺

愛知県豊明市の高徳院

大阪府大阪市の大江神社

熊本県玉名市の妙性寺に句碑がある。

沼田街道沿いの句碑



東漸寺の句碑
   
諏訪神社の句碑

   


池谷邸の句碑



旧北国街道沿いの句碑
   
宝蔵院の句碑

   


水橋神社の句碑
   
成学寺の秋日塚

   


小松天満宮の句碑



正覚寺の句碑



高徳院の句碑



大江神社の句碑



寛政7年(1795年)6月、鷺白は芭蕉の句碑を建立したが、数次の大火で焼失。

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