大島蓼太



『芭蕉句解』(蓼太著)

宝暦9年(1759年)11月、『芭蕉句解』(蓼太著)刊。

芭蕉の発句86句を注解したもの。

   芭蕉翁句解
雪中庵蓼太述

   蓬莱にきかはや伊勢の初たより

慈鎮和尚の奇に、此春はいせにしる人音信て便うれしき花柑子かな、此詠によれるか。此五文字尋常の人は元日と置へきを蓬莱と形容せられたるハ例の風姿にして柑子櫃かち栗のうつろひもむなしからす。此国の歳旦にいせの初便尊く誠に一字を増へからす一字を減すへからすといふへし。

   似合しや新年瓢米五升

深川芭蕉庵に米五升はかりもる瓢あり。粮尽むとする時、門人等又是にもるといへり。隠閑の歳旦称すへし。瓢銘、山素堂、一瓢重黛山、自笑称箕山、莫首陽餓、這中飯顆山(一瓢は黛山よりも重く、自ら笑て箕山と称す。首陽の餓に慣ふことなかれ。這の中に飯顆山あり。)

   ものひとつ瓢は軽き我世かな

是に翁瓢の文あり。略之。今東武何某か家に珍蔵なり。又或集に「にあハしや新年ふるき米五升」、「年たつや新年ふくへ米五升」と出せり。句意分明ならす

   むめ若菜まり子の宿のとろゝ汁

此一章ハ乙州大津より東行の餞別なり。梅若菜ハ青白の色立にして道々の風流さこそといへる心もこもるへし。又とろゝ汁ははいかいの魂にして、駕兒出女の哀も無下に見過すましき羈旅の一棒と見るへし。此句三段切口受

      二月堂に籠りて

   水取や氷の僧の沓のおと

此句水鳥と書て冬の部に入たる集あり。二月堂に籠るといふ詞書にかなハす。此行法二月朔日より七日に到る。此日堂前の石井に若狭国遠敷(おにう)大明神より観世音へ献せしめたまふ。水涌出る則硯に汲て霊符を印す。これを二月堂の水取といへり

   父母のしきりに恋し雉子の聲

良弁僧都の歌に「ほろほろと鳴は山田の雉子の聲父にやあらん母にやあらむ」此詠によれる歟

      葛城山の麓を過る

   猶見たし華に明行神の顔

岩橋の夜の契も絶ぬへし。明るわひしき葛城の神、此詠によれる歟。葛城の神は美目あしゝと世の人の口さかなく云傳へ侍れハ、隠すものハ猶見たしといふ俳諧のおかしミならん。花ハ其山の景物にして、岩橋ハ優婆塞の故事也。

      支考か陸奥へ下るを送る

   此こゝろ推せよ花に五器一具

春雨や夏夕立に秋旱世の中よくて我乞食せんと詠る類ひにして頭陀乞食の旅行に垂戒の一句と見るへし

   かけろふや柴胡の原の薄くもり

柴胡の原知名と覚へたる誹士多し。柴胡ハ薬草也。河原柴胡なといふあれは、只見わたしたる春野の眼前躰なり

   行春を近江の人とおしみける

翁、石山寺の奥幻住庵に在せる頃、そこの門人等を春を惜しめる湖水の湖水の眺望也。此句を惜ミけりと出せる集あり。一句の惜けるといはされハ立す。けりけるけれ三ツの心得あるへし。師によりて習へし

   ゆく春に和哥の浦にて追付たり

「春は根に鳥ハ古巣にかへるなり春のとまりやいつく成らん」この歌を轉したるへし。誠に和哥の浦は山色遠含空海先見日の膽望にして、玉津嶋の端籬清く春を惜むへきの地なり。されは追付たりのことはちからありて、浦山の風色に光をもたせたる所妙といふへし

      いせにて

   神垣や思ひもかけす涅槃像

金葉集「神垣のあたりと思へと夕たすきおもひもかけぬ鉦の音哉」よく此心にかよひて無常迅速の句情深し

   ほとゝきす鳴や五尺のあやめ艸

「郭公鳴や五月のあやめ草あやめもわかぬ恋をする哉」此詠によれる歟。あやめ草ハ此鳥の鳴渡る比の掛合にして、五尺の二字ハ五月の響もおかしけれハなり。余情ハ雨後のあかつきと見るへし。道因法師の歌は五尺のかつらに水を掛たらんやうに詠へしといへる事あり

      奥州武隈松にて

   桜より松は二木を三月越

奥細道を按するに、元禄二年弥生末七日武江を立て皐月はしめ隈松に至る。依て桜より三月越とその日数を云て夏季慥なるへし。只長途の観想、紙毫に及ふへからす。哥に「武隈の松は二木を都人いかにと問ハミきと答む」

      許六か木曽路に趣とき

   旅人のこゝろにも似よ椎の花

万葉集に「家にあれはけにもる飯を草枕旅にしあれハ椎のはにもる」馬牽せ鑓もたせたる旅寐なから風雅の細ミをたとる其人を称するなり

      竹酔日

   ふらすとも竹植る日ハ簔と笠

五雑俎曰「栽竹無時。雨過便移。須宿土取南枝。此妙訣也」俗説五月十三日を竹酔日といふ。はいかいハ俗説を捨す。依て夏季とす。又居家必用「五月十八日栽竹及十三日為竹本命日之百無一死頻試實効」竹うへるに簔笠の掛合うこかすして尤風流なり

      象潟西行さくらにて

   夕はれや桜にすゝむ波の花

西行桜は象潟のうち甘満寺の入江を覗きてあり。山家集に「象潟のさくらハ浪にうつもれて花のうへこく蜑の釣舟」

   夏来ても只ひとつ葉の一ツかな

一ツ葉は筥根塔沢或ハ熊野路なんとに見渡り侍る。漢名石葦といへる薬草也。句意ハ枝有ものは枝にたふれ、花ある物ハ花にたふる。只一ツ葉の安きを愛せる隠逸の観想尤尊し

      芦野にて

   田一枚うへてたちさる柳かな

芦野ハ下野国にあり。「道のへに清水流るゝ柳かけしハしとてこそ立とまりつれ」と詠せられし所也。此哥の心をとりて、しはしとこそやすらひつれ。はや田一枚植けるよ。とおとろきたち去たる旅情也。句法模写変態口授

   あさかほに我は飯くふおとこかな

世ハたゝ朝顔の朝な朝なに起て物くひ枕を高くして宵寝する身のいたつらを観想の句なり。男哉とをける所、尤妙所といふへし。袖日記にいはく、「久かたのひかりのとけき春の日にしつ心なく花の散らむ」といへる手尓葉をしらされは此句聞事かたし。口受

丹野亭

本間主馬か宅に骸骨の笛鼓かまへて能する所を画て舞臺の壁に掛たり

   稲妻や顔の所かすゝきの穂

「秋かせのふくにつけてもあなめあなめをのとハいはし薄生けり」この哥の心も侍るにや

   稲つまにさとらぬ人の尊さよ

ある禅師のいはく、「吾さとれり會せりと思心、米一粒を百分となし、その一分あるたにもいまた實悟にあらす。三十棒の徒なり。実に大悟了の人は、悟れり證せりと思心、念底をつくして一点なし」とそ

      深川の庵を旅たつとて

   秋とゝせ却て江戸をさす古郷

「客舎并州已十霜 帰心日夜憶咸陽 無端更渡桑乾水 却望并州是故郷」よくこの詩のこゝろに似たり

   ひよろひよろと猶露けしや女郎花

續古今集「何ことをしのふの岡のをミなへし思ひしほれて露けかるらむ」

   名月や池を廻りて夜もすから

此句ハ詞すらすらと云下して芭蕉庵一夜の佳興なるへし。宵の程は竹のかこミ花やかにさし出るより下り立て、句をもとめ詩を吟す。やゝ光半天にかゝりて、池水は氷をしけることく、盃をあらふ客も思ひやらる。まして暁は士峯に光をおさめて物の栄梧も観すへく、「かたふく月のおしきのミかハ」と詠る哥の心も籠れる歟。是等ハ句外の意味なれは無用の弁とて高き人は呵りたまハめと、我此事を思ひ立日より初学に古翁の粉骨をしらしめん為にして、更に老俳の手にふるへくも思ひ侍らねハ、しりへに嘲りをかへり見す、みしかき才を動しはへる

   升買て分別替る月見かな

荘子「斗斛成而天下人始争」これらにかなへり。升買てハものはかる事を思ひ、隠士の分別」のかハり所もかゝる所より出へしとそ。誠に句情尊へし

   名月や座に美しき顔もなし

「回頭一笑百媚生 六宮粉黛無顏色」よくこの心にかなへり

      簔虫庵

   今宵誰よしのゝ月も十六里

新古今集「今宵たれ篠ふく風に身をしめてよし野ゝ嶽に月を見るらん」。簔虫庵ハ祖翁の古郷伊賀の山中なり。此句の十六里ハ山中より芳野への行程なるへし

      木因亭

   隠家や菊と月とに田三反

「山居せハ上田三反味噌八斗小者ひとりに水の能所」と一休禅師詠し給へり。木因ハ美濃大垣の住なり。季吟師の門人にして、芭蕉と友としよし

      園女亭

   しら菊の眼にたてゝ見る塵もなし

「くもりなきかゝみのうへにゐる塵を目にたてゝ見る世とおもハはや」西上人、此歌のことはを摘て園女か生質を称せり。そのめハ本土勢州山田渡會氏の女なり。後に武江の深川にかくれて眼科をもゆて常の業とす。又誹才世に鳴、書をよくし、歌学に委し。古墳は霊巌寺念佛堂にあり。辞世に「秋の月はるの曙ミし空ハ夢かうつゝか南無阿ミた陀仏」

   木曽のとち浮世の人の土産かな

此句に云「とちハ橡の字なるへし。誠に木曽ハ山深く谷くらうして、をのつから市聲を離る。むかしより爰にかくれ給へる道心の人々多し」とそ。されハ浮世の二字力あり。晋摯虞入南山飢甚。拾橡實而食。又杜甫詩、歳収橡實狙公

   義朝の心に似たり秋のかせ

只野間の内海の秋風に涙をそゝきたる句と見るへし。欧陽永叔秋聲賦曰「夫秋刑官也 於時為陰 又兵象也 於行為金 是謂天地之義気 常以肅殺

      旅行亭

   あかあかと日は難面もあきの風

新古今集「旅人の袖ふきかへす秋かせに夕日さひしき山のかけはし」是等の心にかよひ暮秋の風姿言外にありて祖翁生涯二三章の秀逸と袖日記に見えたり

ふし川の邊をゆくに、三はかりなる捨子の哀に泣あり。袂より菓子なけて通るに

   猿を聞人捨子に秋の風いかに

「巴猿三叫 暁霑行人之裳」「三たひてふ聲たにきけは、よ所人の物おもひまさるねをのミそなく」「さらぬたに老てハものゝかなしきに夕のましら聲なきかせそ」かゝる詩哥のほそミをたとりて、「捨子の秋風になく」と「暁の猿」と断腸いつれかふかゝらむと也。又此句を或集に「さるをきて捨子に秋の風いかに」と出せり。句意分明ならねは、嵐雪袖日記をもつて證句とす

      加州全昌寺にて

   庭掃て出るや寺にちる柳

世説曰「郭林宗毎行宿逆旅輒躬自灑掃及明。去後人至見之曰、此必郭有道昨宿處也」これらのこゝろかよひて句意尤殊勝なり

   むかしきけ秩父殿さへ相撲とり

按するに只殿といふ字のおかしけれは是をはいかいにして古代をしたへるの句意にこそ。或記曰「東八ヶ国の大力長居といへる人、鎌倉右大將の御舘に來て重忠と角力の勝負を分たん事をねかふ。頼朝卿、彼か自負をにくミ給ひ、重忠に是をむかハしむ。畠山、烏帽子のまゝなから長居か両の肩をつかミ後におしすへたり

   枯枝に烏のとまりけり秋の暮

此句ハ季吟はせを素堂一派新立の茶話口傳の一章なり。夫木集に「鳶からすねくらとやせんかねてより我身の肢のおそろしき哉 慈鎮和尚」これらの心によくかなへり。只一とせの花紅葉の栄枯をいふて、人間無常の観想もあるへし

   夕顏や秋は色々の瓢かな

「みとりなるひとつ草とそ春ハ見し秋はいろいろの花ににそありける」此詠の心にかよへりや。哉の句法 口受

   御影講や油のやうな酒五升

日蓮上人の報書に「新麦一斗、筍三本、池のやうな酒五升、南無妙法蓮花経と回向いたし候」又翁ひとゝせ許六亭に旅寐の比、此報書を讀て、新麦に筍ハよき發句の掛合なりとて人々案しけるに、「新麦や筍ときの草の庵」と句作て許六にたひけるよし。「晋子か謡ハはいかいの源氏なり」と申けるも、かゝる可笑ミさひしみの収所なるへし

      杜國に逢て

   鷹ひとつ見付て嬉しいらこ崎

始て杜國を得て其生質を称する吟なり。山家集に「巣鷹渡る伊良古か崎をうたかひて猶木にかくる山かへり哉」されはいらこに鷹の掛合、動くましくこそ

      たと権現にて

   宮人よ我名をちらせ落葉川

「真の人は智もなく徳もなく功もなく名もなし。たれかしり、誰か傳ん。是徳をかくし、愚をまもるにはあらす。本より賢愚得失のさかひに居らされハ也 下略」例に増賀・西行のあとをしたひ給へる法楽の心、誠に殊勝といふへし。多度権現ハ伊勢美濃にあり

      嵯峨落柿舎にて

   長嘯の塚も廻る歟鉢たゝき

長嘯子ハ木下若狭守と号す。金吾中納言秀秋の舎兄なり。後に世をいといて洛東霊山にかくれて和歌を詠す。慶安の始卒し給ふ。其詠をあつめて擧白集とす。小塩山の麓に古墳あり

      信濃路を過る

   雪散るや穂屋の薄の刈り残し

信州諏訪明神御射山祭七月廿七日也、すゝきの穂をもつて御仮屋を造り、小鳥を狩て神贄にそなふ。依て穂屋の神事ともいへり。古哥多し「尾花ふくほやのあたりの一むらハしハし里ある秋のミさやま」「霜さゆる山田の畔のむらすゝき苅人なしに残る比かな」苅残しの詞よく此哥の心にかなひて哀ふかし

附禄

   夜もすから秋風きくやうらの山

此句曽良か吟なり。おくのほそ道見合へし

   草も木もはなれ切たる雲雀哉

   原中やものにもつかす鳴ひはり

袖日記に云、ひはり鳴あら野におふる姫百合の何につくともなき心かなといふ心もこもりて再案の粉骨尤よかるへし

   おとろひや歯に喰當し海苔の砂

   歯にあたる身のおとろひや海苔の砂

   文月の六日ハ常の夜にも似す

   文月や六日も常の夜にハ似す

   何事の見立にも似す三日の月

   ありとあるたとへにも似す三日の月

   大井川波に塵なし夏の月

   清瀧や波に塵なし夏の月

   清瀧の水汲寄てところてむ

   清瀧や波にちりこむ青松葉

蓼云、この句は祖翁難波の病床に去来をめして「此程園女亭にて「しら菊の目にたてゝ見る塵もなし」と云る句にこゝろかよひて亡執のひとつなり」とて青松葉に吟しかへ給ふよし、去来集に見へたり

      宗無亭

   花を宿にはしめ終や廿日ほと
   イニ花も
蓼云、花の初中後は三七廿一日ほとゝあるより云る句なるへし。「も」の字、書写の誤と見えたり。

   野ゝ宮の鳥居に蔦もなかりけり

蓼云、此句涼菟句撰に出たり。貞享記行見合へし

   闇の夜や巣をまとハして鳴鵆

蓼云、この句冬の部に出せる集あり。水鳥の巣は夏なり

   此あたり目に見ゆるものハ皆涼し

蓼云、イニハの字なし。師説を問へし

   朝よさを誰松嶋そ片こゝろ
   イニ朝寒を
蓼云、此句ハ松嶋行脚おもひたち給へる比の句なるへし。名所に雑の格なり。「朝寒」句意分らす

   松葉焚て手拭あふる寒かな
   イニゴ
蓼云、田家にて松葉をゴといふ、此事にや。諸書に「ごを焚て」とあるハ誤なり。

大島蓼太に戻る