芭蕉の句碑
あかあかと日はつれなくも秋の風
下寺町の円成院の東、上町台地に大江神社がある。
大江神社
四天王寺の鎮守として聖徳太子が祀られしものであると云う。
上町台地の西端に沿う一帯は「夕陽ヶ丘」と呼ばれおり、その昔このこの台地のそばまで海がせまり、西の海に夕日が沈みゆき、茜色に染まる空の美しさにいつしか「夕陽ヶ丘」と呼ばれるようになったと云う。
当境内には芭蕉の俳句碑があり、芭蕉の句としても有名である。
芭蕉の句碑
あかあかと日はつれなくも秋の風
文化14年(1817年)、大坂の俳人三津人建立。森川竹窓筆。
この俳句碑は、松尾芭蕉(1644〜1694年)が元禄7年(1694年)9月9日に大坂入りし、同月26日、当神社南隣にかつて存在した「料亭浮瀬(うかむせ)」にて句会開いたことに因み、建立された。
松井三津人(みつんど)は千李の子。文政5年(1822年)8月15日、没。千李は加藤暁台と親しかったそうだ。
千李、三津人、暁台の句が刻まれている。
左
| 網の子の名にやあるらむ杜宇(ほととぎす)
| 三津人家父千李
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陰
| よる夜中見ても櫻は起て居る
| 三津人
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右
| 春風の夜は嵐に亂れ鳧(けり)
| 曉臺
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大正13年(1924年)11月12日、荻原井泉水は大江神社で芭蕉の句碑を見ている。
私達は門を出て、そこにすぐ続いている大江神社の境内に入った。ここに来ると、この辺一帯が岡だという事がはっきり解るほどに、前方が、崖になって、難波から夷のあたりが眼下に見渡される。「ちぎりあれ難波の里に移り来て浪の入日を拝みつるかな」という家隆の歌から取って夕日が岡という、と。碑が立っている。「あかあかと日はつれなくも秋の風 芭蕉」――是も夕日に因んだ句としてであろうが、是は『奥の細道』にある、北陸道にての作で、こことは何の関係もない。
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