昭和11年(1936年)3月19日、種田山頭火は芭蕉堂、西行庵へ歩いた。 |
三月十九日 晴。 朝は寒く昼は暖か。 どこといふあてもなく、歩きたい方へ歩きたいだけ歩いた。―― 八坂の塔、芭蕉堂、西行庵、智恩院、南禅寺、永観堂、銀閣寺、本願寺、等々等。 |
霊応山と号し、臨済宗建仁寺派に属する。 寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより建立し、往時は延喜式7ケ寺の1つに数えられ隆盛を極めたが、現在は八坂塔(五重塔)と太子堂・薬師堂の2宇を残すのみである。 八坂塔は本瓦葺5層、方6メートル、高さ46メートルの純然たる和様建築で、白鳳時代の建築様式を今に伝えるものである。創建以来、度々災火により焼失したが、その都度再建され、現在の塔は永享12年(1440年)に足利義教によって再興されたものである。塔内には本尊五智如来像5体(大日、釈迦、阿しゅく、宝生、弥陀)を安置し、須弥壇の下には古い松香石製の大きい中心礎石があり、中央には舎利器を納めた三重の凹孔が残っている。 寺宝として、塔を中心に当時の社寺を描いた紙本著色八坂塔絵図のほか、足利義教画像、宝観雑記など貴重な文化財を蔵している。
京都市 |