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谷崎潤一郎ゆかりの地

 明治19年(1886年)7月24日、東京市日本橋区蛎殻町(現:東京都中央区日本橋人形町)に誕生。

 明治34年(1901年)、東京府第一中学正則科に入学。

 大正12年(1923年)9月1日、関東大震災。関西に移住。

 昭和5年(1930年)、「細君譲渡事件」。

拝啓炎暑之候尊堂益御盛榮奉慶賀候、陳者、我等三人此度合議を以て千代ハ潤一郎と離別致し、春夫と結婚致す事と相成、潤一郎娘鮎子ハ母と同居致す可く、素より双方交際の儀は從前の通に就き右御諒承の上一層の御厚誼を賜度、何れ相當仲人を立て御披露に可及候へ共不取敢以寸楮御通知申上候、敬具、昭和五年八月

『斷腸亭日乘』(昭和5年8月20日)

 昭和6年(1931年)、古川丁未子と結婚。

 昭和7年(1932年)、『蘆刈』を発表。

 昭和8年(1933年)、丁未子と別居する。

此日の新聞に谷崎潤一郎君後妻離縁の記事ありと云ふ。

『斷腸亭日乘』(昭和8年12月3日)

 昭和9年(1934年)、丁未子と正式離婚。

 昭和17年(1942年)秋、河口湖畔勝山に滞在し、『細雪』を執筆。

 昭和18年(1943年)、『中央公論』誌上に連載開始された『細雪』が連載中止となる。

 昭和19年(1944年)3月4日、谷崎潤一郎は麻布区市兵衛町の「偏奇館」に永井荷風を訪ねた。

 昭和19年(1944年)、一家で熱海疎開。

 昭和23年(1948年)、『細雪』下巻が完成する。

 昭和24年(1949年)、第8回文化勲章受章。

 昭和30年(1955年)11月8日、吉井勇の古稀(70歳)の祝いとして歌碑を建立。

 昭和39年(1964年)、『潤一郎新々訳源氏物語』を刊行。

 昭和40年(1965年)7月30日、死去。享年80。

谷崎潤一郎生誕の地

(東京都中央区)

日比谷高校

(東京都千代田区)

谷崎潤一郎の文学碑

河口湖(山梨県南都留郡富士河口湖町)

延暦寺

(滋賀県大津市)

法然院

(京都府京都市)

吉井勇の歌碑

祇園白川(京都府京都市)

谷崎潤一郎の文学碑

石清水八幡宮(京都府八幡市)

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