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大正末期から昭和前期の20年間を東灘で暮らした谷崎潤一郎は「わが宿は原住吉芦屋潟海のながめを南に見る」と、この地を愛し、この地はまた彼の作品に多くの影響を与えた。 この歌碑は昭和19年4月15日に熱海に向かって疎開する際に住吉駅で詠んだ「故里の花に心を残しつつ立つやかすみの菟原住吉」が刻まれている。 阿弥陀寺の本堂は明治6年に住吉小学校が、明治22年4月に住吉村役が設置された場所である。
東灘歴史掘り起こし隊 東 灘 区 役 所 |

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故里の花に こゝろを残しつゝ たつやかすみ の菟原住吉 |

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明治六年七月二五日 住吉小学校 明治二二年六月一日 住吉村役場 |



| 江南小学校創立70周年を寿ぎ名作細雪の著者谷崎潤一郎の生誕100年を記念して当地に関係の深い谷崎の書と小磯良平作の雪模様を配した碑をここに建つ |

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今朝は妙子は夙川ではなしに、午前中に本山村野寄の洋裁学院へ行く日だつたので、これぐらいな雨何でもあれへん、水が出たら却つて面白いわ、などと冗談を云ひ云ひ出て行つたのを、止めないで………… 彼が腰かけている席から山手の方を望むと、ちやうど本山第二小学校の建物の水に漬かつているのが、真北に見え、一階南側に列んでいる窓が恰も巨大な閘門のやうに夥しい濁流を奔出させているのであつたが………
谷崎潤一郎『細雪』より |

