2020年広 島

みやじまの宿岩惣」〜文 人〜
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今日はみやじまの宿岩惣」(HP)に泊まる。

玄関母屋


 安政元年(1854年)、岩国屋惣兵衛が茶屋を創業。

 明治25年(1892年)、玄関母屋建築。

 明治29年(1896年)4月10日、夏目漱石は「岩惣」に泊まる。

行く春や経納めにと厳島

大正3年(1914年)の句である。

 明治39年(1906年)、伊藤博文が「岩惣」に泊まっている。

 明治43年(1910年)1月1日、森鴎外は宮島を訪れ「岩惣」へ。

 明治43年(1910年)7月19日、河東碧梧桐は初めて宮島を訪れ「岩惣」に泊まった。

 明治43年(1910年)11月16日、荻原井泉水は宮島を訪れ「岩惣」に泊まる。

紅葉谷公園から「岩惣」の離れが見える。


 大正元年(1912年)11月14日、志賀直哉は宮嶋を訪れ「岩惣」に泊まっている。

岩惣に行く。イキな所だ。然し少しセマスギル。面して公園でキレイにしてあるから、自分が無精な生活をしてゐにくいやうな氣がした。

[暗夜行路草稿4]

 昭和8年(1933年)4月12日、斎藤茂吉は「岩惣」に泊まっている。

   ○ 〔四月十三日宮島岩惣旅館にて〕

わが願ひやうやく足りてまうで來しいつく島山に鶯啼くも

『短歌拾遺』

 昭和13年(1938年)1月8日、吉川英治が「岩惣」に泊まる。

宮しまの谷閧フ小家つらゝして昼も人なくとゝ雪のふる

錫福館


昭和8年(1933年)、建築。

 昭和22年(1947年)、天皇陛下がお泊まりになった建物である。

 昭和25年(1950年)、吉川英治が「岩惣」に泊まる。

 昭和27年(1952年)、吉川英治は「洗心亭」に逗留、「新平家物語」を執筆。

 昭和28年(1953年)5月、富安風生は宮島を訪れ、「洗心亭」に泊まる。

   岩惣旅館 「洗心亭」に泊る

春灯に神島の蛾はよごれなき

『晩涼』

 昭和32年(1957年)11月20日、水原秋桜子は「岩惣」に泊まる。

   十一月二十日。厳島岩惣にて

紅葉焚くけぶりに朝寐包まるゝ

酢牡蠣あり旅の句しるすお砂焼

『蓬壺』

西條八十の掛軸があった。


昭和37年(1962年)、西條八十は「岩惣」に泊まっている。

頼山陽の漢詩


落浮澗深定桃人更空鳥纔危
花來水處在源家有山道通石

  尋張逸人山居
  (張逸人が山居を尋ぬ)
劉長卿
危石纔通鳥道
(危石纔かに鳥道を通じ)
空山更有人家
(空山更に人家有り)
桃源定在深處
(桃源定めて深き処に在らん)
澗水浮來落花
(澗水落花を浮かべ来たる)

 昭和42年(1967年)11月17日、荻原井泉水は「岩惣」に泊まる。

宮島岩惣旅館 三句

紅葉は淡彩、谷は墨色かげりゆく
十一月十七日

紅葉水に、水は石を流れる

紅葉と暖炉紅葉のごとくにして一座


 昭和47年(1972年)12月2日、高浜年尾は「岩惣」に泊まる。

   十二月二日 広島ホトトギス会 前夜句会 宮島岩惣

宮島の残る紅葉に遊ばんと

雪のあと小春日和となりゐたり

鹿の糞落葉まみれにかたまりて

冬紅葉玻璃戸の外を鹿がゆく


豊国神社千畳閣が見える。


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