安政元年(1854年)、岩国屋惣兵衛が茶屋を創業。 明治25年(1892年)、玄関母屋建築。 明治29年(1896年)4月10日、夏目漱石は「岩惣」に泊まる。 |
明治39年(1906年)、伊藤博文が「岩惣」に泊まっている。 明治43年(1910年)1月1日、森鴎外は宮島を訪れ「岩惣」へ。 明治43年(1910年)7月19日、河東碧梧桐は初めて宮島を訪れ「岩惣」に泊まった。 明治43年(1910年)11月16日、荻原井泉水は宮島を訪れ「岩惣」に泊まる。 |
大正元年(1912年)11月14日、志賀直哉は宮嶋を訪れ「岩惣」に泊まっている。 |
岩惣に行く。イキな所だ。然し少しセマスギル。面して公園でキレイにしてあるから、自分が無精な生活をしてゐにくいやうな氣がした。
[暗夜行路草稿4] |
昭和8年(1933年)4月12日、斎藤茂吉は「岩惣」に泊まっている。 |
○ 〔四月十三日宮島岩惣旅館にて〕 わが願ひやうやく足りてまうで來しいつく島山に鶯啼くも
『短歌拾遺』 |
昭和13年(1938年)1月8日、吉川英治が「岩惣」に泊まる。 |
昭和22年(1947年)、天皇陛下がお泊まりになった建物である。 昭和25年(1950年)、吉川英治が「岩惣」に泊まる。 昭和27年(1952年)、吉川英治は「洗心亭」に逗留、「新平家物語」を執筆。 昭和28年(1953年)5月、富安風生は宮島を訪れ、「洗心亭」に泊まる。 |
岩惣旅館 「洗心亭」に泊る 春灯に神島の蛾はよごれなき
『晩涼』 |
昭和32年(1957年)11月20日、水原秋桜子は「岩惣」に泊まる。 |
十一月二十日。厳島岩惣にて 紅葉焚くけぶりに朝寐包まるゝ 酢牡蠣あり旅の句しるすお砂焼
『蓬壺』 |
昭和37年(1962年)、西條八十は「岩惣」に泊まっている。 |
尋張逸人山居 | (張逸人が山居を尋ぬ) |
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劉長卿 |
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危石纔通鳥道 | (危石纔かに鳥道を通じ) |
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空山更有人家 | (空山更に人家有り) |
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桃源定在深處 | (桃源定めて深き処に在らん) |
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澗水浮來落花 | (澗水落花を浮かべ来たる) |
昭和42年(1967年)11月17日、荻原井泉水は「岩惣」に泊まる。 |
宮島岩惣旅館 三句 |
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紅葉は淡彩、谷は墨色かげりゆく | 十一月十七日 |
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紅葉水に、水は石を流れる |
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紅葉と暖炉紅葉のごとくにして一座 |
昭和47年(1972年)12月2日、高浜年尾は「岩惣」に泊まる。 |
十二月二日 広島ホトトギス会 前夜句会 宮島岩惣 宮島の残る紅葉に遊ばんと 雪のあと小春日和となりゐたり 鹿の糞落葉まみれにかたまりて 冬紅葉玻璃戸の外を鹿がゆく |