安永9年(1780年)12月27日、大坂(江戸堀)に生まれる。名は襄(のぼる)、字は子成。 天明元年(1781年)12月、父春水が広島藩の学問所創設にあたり儒学者に登用されたため城下の袋町に転居。 文化13年(1816年)、父春水死去。 文政元年(1818年)、九州遊歴の旅に出る。 文政6年(1823年)4月、伊丹に遊ぶ。 文政7年(1824年)10月、上京していた母が広島に帰るのを送り、帰省。 文政8年(1825年)10月6日、京都から広島に帰省。 文政12年(1829年)、千光寺山に登る。 文政12年(1829年)10月20日、母を送って広島に帰省。 天保3年(1832年)、金井烏洲は関西をまわり、頼山陽など多くの名家と交誼した。 天保3年(1832年)9月23日、死去。享年53。 |