荻原井泉水ゆかりの地


『大 江』

   昭和卅六年 (辛丑) 1961年

岩倉、大雲寺

鐘の古さよろしさ青葉黒むばかり

吾妻富士 二句

霧の中そこに山があるので登るというのか

霧ばかりだつたと言う顔がおりてきて霧の中

   昭和卅七年 (壬寅) 1962年

信州高遠に一泊 三句

花今日明日のその日の花へいそぎゆく
四月十八日

花に夕べこれや天龍の鯉、君あるじする

家ずととして長芋長すぎる長さこそ

(ここに予が花の句碑あり)

わたしが石である花の句に花さきかかり

   昭和卅八年 (癸卯) 1963年

愛染院芭蕉墓

老樹は白梅と聞く墓前落葉のあたたかし
十月十二日

   昭和卅九年 (甲辰) 1964年

伊豆古奈、三養荘にて 三句

案内されてあじさいの藁屋にも湯がある
五月廿八日

つつじ執念に散らずあじさいいち早く咲く

湯とあじさいと妻のはだかも久しぶりか


これやこの滝、青葉分け入って直面する
六月六日

つばめと見るも滝水の末は水田を行く

   昭和四十年 (乙巳) 1965年


鏡山はつつじさく鏡の池がうつす空
五月八日


つつじを手に精薄児というこの子の笑う
五月九日


いつも青い海見ているフランシスザベリオつつじさく

長 崎 三句

右手青空を左手つつじを指して平和像なり
五月十一日

十六番館のつつじ風景出船入船と見る

おもかげ海を見るさまの蝶々夫人蝶々

中津福沢諭吉旧邸

明治慶応此の茂る藤の老木なり
七月九日

宇平居

松に松蝉、故翁いまなお在るごとし


光なり大いなる巌の凹洞(ほと)なす潮なり

青き大鳥か木か草か岩にはばたく

花はつわのはな道は巌にすがりゆく

神詣るとて竹の赤杖手にして老いらく

   昭和四十一年 (丙午) 1966年


道と流と人の行く鯉の行く
十月十一日

鴎外ここに学びし養老館の古き門、の鯉


コスモスは明治の花か黄金のぼたんまことに惜し

   昭和四十二年 (丁未) 1967年

太宰府天満宮の神域に句碑として立つ除幕式

樟の木千年さらにことしの若葉なり
五月五日

水に横たわる樟の木、朱の橋、詣る

禰宜を鶴としてわが言葉神に申さく

若葉はすべて樟の、水音は滝と聞く

宮島岩惣旅館 三句

紅葉は淡彩、谷は墨色かげりゆく
十一月十七日

紅葉水に、水は石を流れる

紅葉と暖炉紅葉のごとくにして一座

厳島神社 五句

月は潮満つる珠、まさしく潮満ちきたる

清盛これを見し月か欠くるまえ満ちきわまる

天上満月、却下うしおち満ちたり

おのれ猿、水中の月句に捉えばや

龍神月の珠をささげ海より立つ雲

   昭和四十三年 (戊申) 1968年

志賀島 三句

家あり枯萱ばかり家もなし田がすこし
三月四日

ここな小島の大きなみかんの甘しとも甘し


椎の老木の古宮の椿は青い潮におちる


うぐいす此のとき霧より天地闢(ひら)けゆく
五月廿一日

声、朝を張りきる声のうぐいす

一望明けて青野、矢を射る燕なり

朝霧飛びかう二羽のつばめの二羽にして

雲厳寺 四句

牡丹を見る此の寺のにじの橋を渡り

巌を開いて咲く大き牡丹の白きなり

(はん)の音、牡丹衆僧趺坐につく

牡丹この朝老師止観の目を開く

   昭和四十四年 (己酉) 1969年


芦の葉月となる橋から汐のさし入るらしく


このひとの塚として萩のうねりかな


時、処、ひぐらしの鳴きそうな、鳴く
八月卅日


魚へんに秋という魚の釣れば鳴く

宇奈月

山は紅葉か宿は黒部の水音なり


はぎすすき、水はここより美濃へ行く
八月卅一日

   昭和四十五年 (庚戌) 1970年

京都春季大会

勝手まがりくねつた枝のきまま芽をふく
五月十日

天徳院句碑除幕

老師焼香一喝我が石として芽をふく

石山寺 四句

石はぬれてこそ石山の青葉の雨

石に燃えかかる火のようなつつじの雨

青葉の中に諸堂、の一堂灯す

巡礼、つばめ、これより札所近江路となる

弥陀ヶ原

標高六千尺きよう暖かに芒風なし

美女平

昔、今も龍胆いけてあり其人はなく

荻原井泉水ゆかりの地