旅のあれこれ


伊藤博文ゆかりの地

 天保12年(1841年)9月2日、周防国熊毛郡束荷村字野尻(現:山口県光市束荷字野尻)の百姓・林十蔵(のちに重蔵)の長男として生まれる。

 嘉永2年(1849年)3月、萩に移住。

 安政4年(1857年)9月、松下村塾に入門。

 文久2年(1862年)12月21日、麹町三番町付近で国学者塙忠宝を暗殺する。

 文久3年(1863年)5月、伊藤博文は井上馨・遠藤謹助・山尾庸三・井上勝と共に5人でイギリス留学。

 元治元年(1864年)6月、イギリスから帰国。

 慶応元年(1865年)、伊藤博文は刺客に追われ亀山八幡宮の境内で木田梅子に助けられる。

 明治元年(1868年)5月23日、初代兵庫県知事に赴任。

 明治4年(1871年)12月23日、岩倉使節団副使官のひとりとして渡米。津田梅子・山川捨松等女子留学生も随行して渡米。

 明治11年(1878年)5月14日、「紀尾井坂の変」。伊藤博文は参議兼内務卿となる。

 明治17年(1884年)、伊藤博文・山縣有朋・井上馨等全国諸名士の寄付により東行庵建立。

 明治18年(1885年)12月、初代内閣総理大臣に任命される。外務大臣井上馨。陸軍大臣大山巌。

 明治20年(1887年)2月21日、長浜の豪商浅見又蔵氏は私財を投じて慶雲館を建設。伊藤博文が命名。

 明治20年(1887年)、松田屋は新客室棟を増築。伊藤博文は「群巒閣」と命名し揮毫額を贈呈する。

 明治25年(1892年)8月8日、第二次伊藤内閣。外務大臣陸奥宗光。

 明治27年(1894年)7月16日、日英通商航海条約を締結、領事裁判権撤廃に成功した。

 明治27年(1894年)8月1日、日清戦争開戦。

 明治28年(1895年)4月、春帆楼で日清講和会議。

 明治29年(1896年)、大磯に蹌踉閣を建てる。

 明治30年(1897年)、伊藤博文は金沢文庫を称名寺大宝院跡に再建。

 明治33年(1900年)4月、建設中の八幡製鐵所を訪れる。

 明治34年(1901年)7月14日、北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑除幕。伊藤博文揮毫。

 明治38年(1905年)、初代韓国統監となる。

 明治39年(1906年)、伊藤博文は「岩惣」に泊まる。

 明治40年(1907年)9月21日、公爵陞爵。

 明治40年(1907年)、伊藤博文や野村靖が中心となって松陰神社創建の請願書が山口県に提出され、10月4日に県社の社格をもって創建が許可された。

 明治42年(1909年)、ハルビン駅で安重根に暗殺される。

霧積温泉

(群馬県安中市)

記念碑

ペリー公園(神奈川県横須賀市)

慶雲館

(滋賀県長浜市)

伊藤博文の詩碑

禅昌寺(兵庫県神戸市)

兵庫城跡

新川運河(兵庫県神戸市)

みやじまの宿岩惣

(広島県廿日市市)

弥山山頂

(広島県廿日市市)

伊藤博文像

伊藤博文旧宅(山口県萩市)

道の駅「萩往還」

(山口県萩市)

松陰神社〜松下村塾

(山口県萩市)

松田屋ホテル

(山口県山口市)

東行庵

(山口県下関市)

伊藤博文像・陸奥宗光像

日清講和記念館(山口県下関市)

ふくの碑

日清講和記念館(山口県下関市)

「お亀茶屋」跡

亀山八幡宮(山口県下関市)

官営八幡製鐵所

(福岡県北九州市)

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