旅のあれこれ文 学


橋本多佳子ゆかりの地

橋本多佳子の句

『海燕』

 櫓山日記

山荘やわが来て葛に夜々燈す

花葛の濃きむらさきも簾(す)をへだつ

ひぐらしや絨毯青く山に住む

 櫓山荘

夫の手に壁炉の榾火たきつがれ

 大浦天主堂

雷をきき聖なる燭のもとにわれ

雷雨去り聖歌しづかなりつづく

虹ひくく天主の階を降りんとする

   櫓山荘にて

炉によみて夫(つま)の古椅子ゆるる椅子

ひとりの夜よみて壁炉の椅子熱す

   赤倉観光ホテル

ホテルあり鉄階を雪の地に降ろし

ラヂエーター鳴りて樹氷の野が暁くる

樹氷林ホテルのけぶり纏(ま)きて澄む

熱湯の栓あけ部屋に雪ごもる

雪原のしづけさ部屋の窓をひらき

スキー靴ぬがずおそき昼餐をとる

雪深くして厨房の音こもる

月が照り雪原遠き駅ともる

月が照り雪原の面昏しと思ふ

雪眼鏡雪原に日も手も碧き

『信濃』

   小倉櫓山荘にて 二句

廃園に海のまぶしき藪椿

   杉田久女様御逝去を知る。小倉在住当時俳句
   の手ほどきを受ける。毎日のやうに櫓山荘を
   訪づれられしを想ひ

春潮に指をぬらして人弔ふ

『紅絲』

   石田波郷氏を東京郊外清瀬病院に見舞ふ。手
   術直後にてその瞳に会ひしのみ 一句

どこまでも風蝶一路会ひにゆく

   杉田久女句集出版ときゝて嬉しさに堪へず
   一句

松高き限りを凌霄(のうぜんかずら)咲きのぼる

 童女抄

乳母車夏の怒濤によこむきに

雲の峰立ちてのぞける乳母車

夏氷童女の掌にてとけやまず

 月 明

一燈なく唐招提寺月明に

野の猫が月の伽藍をぬけとほる

百姓や月の白壁惜しみなく

   薬師寺

月天へ塔は裳階をかさねゆく

月光に朱(あけ)うばはれず柱立つ

月光のいまも黒髪老いつゝあらむ

『海彦』

   博多天狼大会の為耳鳴鐘に招かれて、西東
   三鬼氏と西下す。恰もどんたく祭に当る

旅の歩みどんたくしやぎりに切替へる

どんたくの仮面はづせし人の老い

どんたく囃子玄海に燈を探せどなし

   横山白虹氏と共に久女終焉の地を弔ふ、筑紫
   観音寺保養院にて

青櫨が蔽ひ久女の窓昏む

(かぎ)はづし入る万緑の一つの扉(と)

万緑やわが糠にある鉄格子

   長崎崇福寺三句

仏花としてアマリゝスの花八方向く

僧苑や咲く罌粟散る罌粟罌粟に充ち

 浦上天主堂

   原爆の跡に仮御堂建つのみ

同じ黒髪梅雨じめる神父と子等

梅雨の床子等へ聖書を口うつしに

石塊として梅雨ぬるる天使と獣

梅雨の廃壇石塊の黙天使の黙

梅雨に広肩石のヨハネの顔欠けて

   誓子先生、大和郡山に柳沢保承を訪ねらる。
   御案内しての帰途

椎どんぐり海龍王寺ぬけとほる

 室戸岬

   大病後初めて旅に出らるる誓子先生に従ひて

冬の巌この身を寄せしあともなし

巌の黙石蕗の一花を欠きて去る

断崖の穂絮きらきら宙にあり

椿咲く冬や耳朶透く嫗の血

枕かへし冬濤の音ひきよせる

冬濤の壁にぶつかる陸(くが)の涯

遍路の歩岬(さき)の長路をたぐりよせ

崎に立ちおのれはためきや冬遍路

崎に立つ遍路や何の海彦待つ

遍路歩むきぞの長路をけふに継ぎ

遍路笠裏に冬日の砂の照り

遍路笠かぶりし目路にまた風花

冬の泉冥し遍路の身をさかしま

遍路笠かぶれば冬濤ばかり充つ

(め)遍路や日没る方位をいぶかしみ

女遍路や背負へるものに身をひかれ

孤りは常会へば二人の遍路にて

眼前に浮く鴨旅に何責むや

龍舌蘭遍路の影の折れ折れる

   淡路門崎

波あげて鵜岩の孤独わだなかに

渦潮に対ふこの大き寂しさに

燈台守よたぎつ渦潮汝(な)とへだつ

渦潮の圏にて鵜岩鵜を翔(た)たす

渦潮見ていのち継がむと吾立てり

渦潮見て荒き心を隠さざる

生き身疲る渦潮のはやく衰へよ

渦潮去る香を奪はれし髪そゝけ

渦潮のおとろへざるに断崖去る

南風(はえ)の迫門渦潮の刻解かれ

『命終』

   夫の忌日に

木犀や記憶を死まで追ひつめる

 友鵜舟

   鵜舟に同乗、津保川より長良川を下る。

高鳴つて鵜の瀬暮るるに遅れたり

腋も黒し鵜飼の装に吾を裹(つつ)

腕長の鵜飼の装に身を緊(し)むる

狩の刻(とき)荒鵜手縄(たなは)をみな結はれ

手縄結はるる不安馴れし鵜とても見す

鵜の篝夜の殺生の明々と

鵜篝の火花やすでに棹さし出

友鵜舟焔危し瀬に乗りて

狩場にて鵜の修羅篝したたりづめ

男壮(をさか)りの鵜の匠にて火の粉の中

鵜舟に在りわが身の火の粉うちはらひ

かうかうと身しぼる叱咤鵜の匠

瀬落すや手縄曳かれて鵜が転び

早瀬ゆく鵜綱のもつれもつるるまま

中乗や男(を)の腰緊り鵜舟漕ぐ

索かるるもまた安からむ手縄の鵜

鵜匠の眼火の粉になやむ吾を見る

鵜舟に在る女面を篝襲ひづめ

彼方にて焔はげしき友鵜舟

こゑとどかぬ遠さの火焔友鵜舟

友鵜舟離るればまた孤つ火よ

一炎やおのが狩場に鵜を照らし

鵜の篝倚せゐて崖の胸焦がす

鵜舟にあり一切事闇に距て

寝髪にほふ鵜篝の火をくぐり来て

鵜篝の火の臭(かざ)の髪解き放つ

 足摺岬

枯れ崖長し行途につきしばかり

また同じ枯れ切通しこの道ゆく

一人の遍路容れて遍路の群増えず

冬の旅日当ればそこに立ちどまる

 三鬼氏を悼む

桜の下喪の髪にピンいくつも挿し

花万朶しづもるや喪の重き如

桜寒む生死の境くつきりと

桜見てひとり酌む酒手向け酒

げんげ畑そこにも三鬼呼べば来る

花万朶皮膚のごとくに喪服着て

眼にあまる万朶の桜生き残る

喪服着て花の間いそぐ生き残り

桜寒む熱き白湯飲み生一途

日をつつむ西方桜死は遠し

補 遺(句集未収録作品)

昭和2年

たんぽぽの花大いさよ蝦夷の夏

「ホトトギス」

昭和3年

裏門の石段しづむ秋の潮

「ホトトギス」

昭和4年

   日向青島

春光や蒲葵(びろう)樹林の御幸道

ばりばりと蒲葵落葉をふみ出る

   日向
鵜戸神社にて

山藤や此処より沓を許されず

「天の川」

昭和5年

   櫓山を去る

かたむきし夕顔垣もそのまゝに

夕されば春の炬燵によりにけり

「ホトトギス」

昭和29年

渦潮を一舟日覆傾け過ぐ

かへり見る南風の門波の渦巻くを

渦の上鱚舟同士ゆれあへり

鱚釣つて八重渦潮の上をいでず

渦と渦のかゝはり南風の鳴門おもしろ

「天狼」

昭和35年

寒港を見るや軍港下敷に

「天狼」

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