特に由緒あるものではなく、どこかに放置されていたものを再利用したものだそうだ。 |
昭和3年(1928年)5月27日、桂浜の坂本龍馬先生銅像除幕。製作者本山白雲。 |
天保9年4月安芸郡北川村に生る。幕末の頃、天下の志士と交友し、陸援隊を組織し、その長となり、海援隊長坂本龍馬と共に薩長連合をはかり、明治維新の大業に尽力したが、慶応3年11月15日(1867年)夜、京都において刺客のために斃れた。 |
昭和6年(1931年)4月3日、高浜虚子は室戸岬を訪れている。 |
岩の間に人かくれ蝶現るゝ 龍巻に添うて虹立つ室戸崎 龍巻も消ゆれば虹も消えにけり 沖の方曇り來れば春の雷 四月三日、室戸岬行。 |
昭和14年(1939年)11月6日、種田山頭火は室戸岬にやってきた。 |
室戸岬の突端に立ったのは三時頃であったろう、室戸岬は真に大観である、限りなき大空、果しなき大洋、雑木山、大小の岩石、なんぼ眺めても飽かない、眺めれば眺めるほどその大きさが解ってくる、……ここにも大師の行水池、苦行窟などがある、草刈婆さんがわざわざ亀の池まで連れて行ってくれたが亀はあらわれなかった、婆さん御苦労さま有難う。
『四国遍路日記』 |
昭和28年(1958年)5月、久保田万太郎は四国に赴く。 |
室戸岬にて(六句) 岩群れてひたすら群れて薄暑かな 薫風やいと大いなる岩一つ 薫風や岩にあづけし杖と笠 はまゆふのまだ咲かぬ風薫りけり この町や水にこと缺きあやめ黄に 火蛾去れり岬ホテルの午前二時
『流寓抄』 |
昭和30年(1955年)12月、山口誓子は室戸岬を訪れている。 |
寒鴉飛ぶ室戸岬巖ばかりの上
『構橋』 |
橋本多佳子は初めて山口誓子のお伴して室戸岬の旅へ行く。 |
崎に立つ遍路や何の海彦待つ
『海彦』 |