2017年高 知

足摺岬灯台〜高浜年尾の句碑〜
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金剛福寺から足摺岬灯台へ。

 西の蹉陀岬と東の室戸岬とは、土佐の海門の両柱の如き観を成す。蹉陀岬は断崖直に波に俯す。断崖は漸々高まりて白皇山となる。山頂尖りて、巨石立つ。その石頭の眺望実に雄大也。直に海に接する断崖の上より、海亀の浮遊するを見るも、亦天下の快観たるを失はず。

   亀を呼ぶ巌頭暮れて海涼し
「土佐吟草」(蹉陀岬)

いまもなほ足摺崎の岩はなにかの日のごとく眠(ぬ)るや大龜

足摺のみ寺に通ふ遍路みち盡くるあたりの海を寂しむ

『玄 冬』

足摺の岬へかよふ遍路みち老いて寂しく往かむ日もがな

『形影抄』

田宮虎彦先生文学碑があった。


砕け散る荒波の飛沫が
崖肌の巨巖いちめんに
雨のように降りそそいでいた

小説『足摺岬』より

 昭和24年(1949年)、「足摺岬」は雑誌『人間』(10月号)に掲載された。1954年、映画化。足摺岬が有名になったのは、それからだそうだ。

1976年4月、土佐清水市建立。

足摺岬灯台


 昭和32年(1957年)2月、山口誓子は足摺を訪れている。

   足 摺

毒消賣土佐歩けるを追ひ越しゆく

春月に水飢饉なる足摺よ

若妻を伴(つ)れて遍路も酷からず

『方位』

橋本多佳子は山口誓子に同行して足摺岬へ旅行。

枯れ崖長し行途につきしばか

り また同じ枯れ切通しこの道ゆく

一人の遍路容れて遍路の群増えず

冬の旅日当ればそこに立ちどまる

『命終』

亀呼場から見下ろす。


足摺七不思議 亀呼場

弘法大師がここから亀を呼び、眼下の不動岩に渡り身体安全、海上安全の祈祷をされたといわれ、この場所から亀を呼ぶと、その亀が浮かび上がってきたといわれています。

海側から見上げた灯台


昭和50年(1975年)2月15日、高浜年尾は足摺岬を訪れている。

昭和51年(1976年)4月、土佐清水市は高浜年尾の句碑建立。

昭和54年(1979年)10月26日、年尾は78歳で没。

   二月十五日 高知県足摺岬行 パシフィックホテル

春潮の騒立つ礁見下ろしに

早春の雪や土佐路の山脈に

梅ケ香に上座を与へられてをり

足摺にはじまる土佐の春かとも

椿かざし椿まつりの踊子等

『句日記』(第四巻)

高浜年尾の句碑があった。


足摺にはじまる土佐の春かとも

岬の上の灯台


足摺七不思議 亀石


岬先端にある亀呼場から弘法大師が亀の背中に乗って、灯台の前の海中にある不動岩に渡ったといわれています。この亀石は、その亀呼場の方向に向かっています。

足摺岬観光案内所へ。

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