西の蹉陀岬と東の室戸岬とは、土佐の海門の両柱の如き観を成す。蹉陀岬は断崖直に波に俯す。断崖は漸々高まりて白皇山となる。山頂尖りて、巨石立つ。その石頭の眺望実に雄大也。直に海に接する断崖の上より、海亀の浮遊するを見るも、亦天下の快観たるを失はず。 亀を呼ぶ巌頭暮れて海涼し
「土佐吟草」(蹉陀岬) |
いまもなほ足摺崎の岩はなにかの日のごとく眠(ぬ)るや大龜 足摺のみ寺に通ふ遍路みち盡くるあたりの海を寂しむ
『玄 冬』 |
足摺の岬へかよふ遍路みち老いて寂しく往かむ日もがな
『形影抄』 |
砕け散る荒波の飛沫が |
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崖肌の巨巖いちめんに |
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雨のように降りそそいでいた |
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小説『足摺岬』より |
昭和24年(1949年)、「足摺岬」は雑誌『人間』(10月号)に掲載された。1954年、映画化。足摺岬が有名になったのは、それからだそうだ。 |
昭和32年(1957年)2月、山口誓子は足摺を訪れている。 |
足 摺 毒消賣土佐歩けるを追ひ越しゆく 春月に水飢饉なる足摺よ 若妻を伴(つ)れて遍路も酷からず
『方位』 |
枯れ崖長し行途につきしばか り また同じ枯れ切通しこの道ゆく 一人の遍路容れて遍路の群増えず 冬の旅日当ればそこに立ちどまる
『命終』 |
弘法大師がここから亀を呼び、眼下の不動岩に渡り身体安全、海上安全の祈祷をされたといわれ、この場所から亀を呼ぶと、その亀が浮かび上がってきたといわれています。 |
昭和50年(1975年)2月15日、高浜年尾は足摺岬を訪れている。 昭和51年(1976年)4月、土佐清水市は高浜年尾の句碑建立。 昭和54年(1979年)10月26日、年尾は78歳で没。 |
二月十五日 高知県足摺岬行 パシフィックホテル 春潮の騒立つ礁見下ろしに 早春の雪や土佐路の山脈に 梅ケ香に上座を与へられてをり 足摺にはじまる土佐の春かとも 椿かざし椿まつりの踊子等
『句日記』(第四巻) |
岬先端にある亀呼場から弘法大師が亀の背中に乗って、灯台の前の海中にある不動岩に渡ったといわれています。この亀石は、その亀呼場の方向に向かっています。 |