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西東三鬼ゆかりの地

西東三鬼の句

 明治33年(1900年)5月15日、津山市南新座に生まれる。本名、斎藤敬直。

 明治39年(1906年)、父が胃癌で死去、以後長兄の扶養を受ける。

 大正元年(1911年)11月、母と初めて上京、夏目漱石の墓に詣でた。

 大正7年(1918年)9月、母がスペイン風邪で死去、東京の長兄のもとへ移住。

 昭和9年(1934年)1月、俳句同人誌「走馬燈」同人。

 昭和15年(1940年)、第1句集『旗』。

 昭和15年(1940年)8月、京大俳句事件に連座し検挙、11月、起訴猶予となる。

 昭和17年(1942年)、東京を出て単身神戸に赴く。

 昭和21年(1946年)、奈良に遊ぶ。

 昭和22年(1947年)5月、石田波郷は5年振りに松山に帰る。途中、神戸の「三鬼館」に泊まる。同行して奈良の橋本多佳子、京都の山本健吉、高砂の永田耕衣を訪問。

 昭和22年(1947年)7月、石田波郷と九十九里浜に遊ぶ。8月、波郷発病。

 昭和22年(1947年)9月、「現代俳句協会」設立。

 昭和23年(1948年)1月、山口誓子を擁して「天狼」を創刊。

 昭和23年(1948年)4月、津山へ初の帰郷。

 昭和23年(1948年)、第2句集『夜の桃』刊。

 昭和27年(1952年)、第3句集『今日』刊。

 昭和27年(1952年)6月、「断崖」を創刊、主宰。

 昭和28年(1953年)7月、西東三鬼は墓参のため津山へ。

 昭和28年(1953年)11月、長兄武夫死亡。

 昭和37年(1962年)、第4句集『変身』。

 昭和37年(1962年)4月1日、没。功労により俳壇葬とされる。墓所は津山市西寺町成道寺

 昭和37年(1962年)11月、山口誓子は津山を訪れた。

 平成5年(1993年)、津山市はその業績を顕彰するため、俳句文学賞「西東三鬼賞」を設ける。

花冷えの城の石崖手で叩く

津山文化センター(岡山県津山市)

柿むく手母のごとくに柿をむく

田町武家屋敷(岡山県津山市)

枯薄のうごく時来てみなうごく

西東三鬼生誕の地(岡山県津山市)

西東三鬼の句墓碑

成道寺(岡山県津山市)

父のごとき夏雲立てり津山なり

津山駅前(岡山県津山市)

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