旅のあれこれ


渋沢栄一ゆかりの地

 天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島村(現:埼玉県深谷市血洗島)に生れる。

 安政5年(1858年)、従妹の尾高千代と結婚。

 文久3年(1863年)、高崎城を乗っ取って武器を奪い、横浜外国人居留地を焼き討ちにする計画を立てるが、中止。

 文久4年(1864年)、一橋家家臣平岡円四郎の推挙により一橋慶喜に仕えることになる。

 慶応2年(1867年)、徳川昭武の随員としてフランスへ渡航。

 明治2年(1869年)11月、大隈重信らの説得で民部省租税正として出仕する。

 明治6年(1873年)5月14日、退官。

 明治11年(1878年)、接待用の別荘を建設。

 明治13年(1880年)2月28日、横浜正金銀行設立。渋沢栄一は株主のひとりであった。

 明治13年(1880年)、阪谷朗廬が「曖依村荘」と命名。

 明治15年(1882年)、千代はコレラで死亡。

 明治16年(1883年)、川越出身で江戸の豪商だった伊藤八兵衛の娘兼子を後添えとした。

 明治21年(1888年)、深谷に日本煉瓦製造株式会社を設立。

 明治26年(1893年)、川越の大火で義援金を募り、渋沢栄一も300円を寄付した。

 明治3T年(1898年)、「曖依村荘」の増改築を開始。

 明治34年(1901年)、「曖依村荘」を本邸として使用。

 大正2年(1913年)5月、榎本武揚像建立。建設者に大隈重信、渋沢栄一などが名を連ねています。

 大正3年(1914年)12月20日、東京駅開業。駅舎には、渋沢栄一が設立した日本煉瓦製造株式会社製のれんがが使用されたそうだ。

 大正5年(1916年)10月22日、二本榎保存之碑除幕式に出席。

 大正6年(1917年)、「晩香廬」竣工。

 大正9年(1920年)9月8日、子爵昇爵。

 大正14年(1925年)、「青淵文庫」建築。

 昭和6年(1931年)11月11日、満91歳で没。

 昭和8年(1933年)1月12日、財団法人渋沢青淵記念会が誕生。

 昭和8年(1933年)4月23日、青淵先生の遺言により、渋沢家から曖依村荘を受贈。

 昭和8年(1933年)10月11日、曖依村荘庭園の公開を開始。

 昭和11年(1936年)8月2日、高浜虚子は武蔵野探勝会で旧渋沢邸を訪れている。星野立子同行。

 昭和14年(1939年)、幸田露伴『澁澤榮一傳』を刊行。

 昭和57年(1982年)、曖依村荘跡に渋沢資料館設立。

 令和2年(2020年)3月28日、渋沢資料館がリニューアルオープン。

 令和3年(2021年)2月14日、大河ドラマ『青天を衝け』放送開始。

高崎城

(群馬県高崎市)

青淵渋澤榮一像

(埼玉県深谷市)

時の鐘

(埼玉県川越市)

渋沢資料館

(東京都北区)

晩香廬

(東京都北区)

青淵文庫

(東京都北区)

西ヶ原一里塚

(東京都北区)

渋沢栄一の墓碑

谷中霊園(東京都台東区)

青淵澁澤榮一

常盤橋公園(東京都千代田区)

東京駅丸の内駅舎

(東京都千代田区)

旧横浜正金銀行本店

(神奈川横浜市)

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