明治5年(1872年)7月8日、三重県鈴鹿郡石薬師村(現:鈴鹿市石薬師町)にて歌人佐々木弘綱の長男として生まれる。 明治13年(1880年)4月20日、佐々木弘綱・信綱親子が篠座神社を訪れ歌を詠んでいる。 明治15年(1882年)、父弘綱に伴われて上京。 明治17年(1884年)、東京帝国大学文学部古典講習科に進む。 明治31年(1898年)、「心の花」創刊。 明治38年(1905年)7月、東京帝国大学の講師になる。 明治41年(1908年)5月2日、石川啄木は与謝野鉄幹に連れられて観潮楼歌会に出席。初めて佐々木信綱と逢う。 |
信綱は温厚な風采、女弟子が千人近くもあるのも無理が無いと思ふ。 |
大正元年(1912年)7月、神田から駒込西片町に移る。 昭和3年(1928年)、若松を訪ねた。 昭和9年(1934年)7月31日、帝国学士院会員。 昭和12年(1937年)、第一回文化勲章を受章、帝国芸術院会員。 昭和13年(1938年)4月、別府の鬼山地獄を訪れる。 昭和19年(1944年)12月、肺炎を患い、病後の静養地として熱海「凌寒荘」に移る。 昭和33年(1958年)9月28日、鹿持雅澄先生の百年祭。 昭和38年(1963年)12月2日、急性肺炎のため死去。享年92歳。 |