ここは明治文壇の天才樋口一葉舊居の跡なり。一葉この地に住みて「たけくらべ」を書く。明治時代の竜泉寺町の面影永く偲ぶべし。今町民一葉を慕ひて碑を建つ。一葉の霊欣びて必ずや来り留まらん。 菊池寛右の如く文を撰してここに碑を建てたるは、昭和11年7月のことなりき。その後軍人国を誤りて太平洋戦争を起し、我国土を空襲の惨に晒す。昭和20年3月、この辺一帯焼野ヶ原となり、碑も共に溶く。 有志一葉のために悲しみ再び碑を建つ。愛せらるる事かくの如き、作家としての面目これに過ぎたるはなからむ。唯悲しいかな、菊池寛今は亡く、文章を次ぐに由なし。僕代って蕪辞を列ね、その後の事を記す。嗚呼。 昭和24年3月
菊 池 寛 撰 小島政二郎補並書 森田春鶴刻 |
近代文学不朽の名作「たけくらべ」は樋口一葉在住当時の竜泉寺町を中心に吉原界わいが舞台となった。これを記念して昭和26年11月、地元一葉記念公園協賛会によって建てられ、その後台東区に移管された。 碑文は女史の旧友歌人佐佐木信綱博士作並びに書による次の2首が刻まれている。
台東区教育委員会 |
紫の古りし光にたぐへつべし君ここに住みてそめし筆のあや |
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一葉女史たけくらべ記念碑 |
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そのかみの美登利信如らもこの園に来あそぶらむか月しろき夜を |
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佐佐木信綱 |
大黒屋の美登利とて生國は紀州、言葉のいさゝか訛れるも可愛く、第一は切れ離れよき氣象を喜ばぬ人なし、 多くの中に龍華寺の信如とて、千筋となづる黒髮も今いく歳のさかりにか、やがては墨染にかへぬべき袖の色、發心は腹からか、坊は親ゆづりの勉強ものあり、
樋口一葉『たけくらべ』 |