国指定文化財(史跡) この建物は、最初、水井兵衛(伊藤直右衛門)の居宅であったが、安政元年(1854年)に博文の父十蔵が一家あげて伊藤家に入家してからは、博文の居宅となった。ここで、博文は吉田松陰の門下に入って教育を受け、志士として活躍した。明治元年(1868年)に兵庫県知事に赴任するまで、ここを本拠とした。 その後、明治憲法制定の任にあたってその功を遂げ、初代内閣総理大臣に就任するなど政府の要職を歴任した。 |
明治42年(1909年、ハルビン駅で安重根に暗殺された。 明治43年(1910年)2月15日、河東碧梧桐は伊藤博文の生誕地を訪れている。 |
故伊藤公、桂侯、山県公などの誕生地を凧の長閑な影の下に歴順して、殆ど萩の町を一週した。木村氏と共に高大楼に飲んだ。 |