旅のあれこれ文 学


会津八一ゆかりの地

 明治14年(1881年)8月1日、新潟県新潟市古町通五番町に生まれる。

 明治33年(1900年)、新潟尋常中学校卒業後、東京専門学校に入学し、坪内逍遙や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らの講義を聴講した。

 明治41年(1908年)、初めて東大寺に詣でる。

 明治43年(1910年)、坪内逍遙の招聘により早稲田中学校の英語教員となり上京。

 大正2年(1913年)、早稲田大学講師を兼任。

 大正10年(1921年)、法隆寺を訪れた。

 大正11年(1922年)、東京郊外の落合村に転居し、「落合秋艸堂」と名付けた。

 昭和9年(1934年)、早稲田大学恩賜館に東洋美術史研究室を開設。

 昭和10年(1935年)、文化村秋艸堂(別名・慈樹園)に移る。

 昭和17年(1942年)4月、新薬師寺に歌碑を建立。

 昭和20年(1945年)、早稲田大学教授を辞任。

 昭和21年(1946年)、「夕刊ニヒガタ」創刊、夕刊新潟社の社長となる。

 昭和25年(1950年)、唐招提寺に建立。

 昭和25年(1950年)10月12日、古稀を祝う事業のひとつとして東大寺の歌碑除幕。

 昭和31年(1956年)11月21日、75歳で没。

妙雲寺


なづみきて野辺よりやまにいるみちのみみにさやけき水のおとかな

(栃木県那須塩原市)

早稲田大学


むかしひとこゑもほからにたくうちてとかしし於もわみえきたるかも

(東京都新宿区)

山田温泉


かぎりなきみそらのはてをゆくゝものいかにかなしきこゝろなるらむ

(長野県上高井郡高山村)

会津八一記念館


わがともよよきふみつづれふるさとのみづたのあぜによむひとのため

(新潟県新潟市)

東大寺


おほらかにもろてのゆびをひらかせておほきほとけはあまたらしたり

(奈良県奈良市)

興福寺


はるきぬといまかもろびとゆきかへりほとけのにはにはなさくらしも

(奈良県奈良市)

猿沢池


わぎもこがきぬかけやなぎみまくほりいけをめぐりぬかささしながら

(奈良県奈良市)

新薬師寺


ちかつきてあふきみれともみほとけのみそなはすともあらぬさひしさ

(奈良県奈良市)

唐招提寺


おほてらのまろきはしらのつきかけをつちにふみつつものをこそおもへ

(奈良県奈良市)

法隆寺


ちとせあまりみたひめくれるももとせをひとひのことくたてるこのたふ

(奈良県生駒郡斑鳩町)

八栗寺


わたつみのそこゆくうをのひれにさへひひけこのかねのりのみために

八栗寺(香川県高松市)

片江風致公園


かすかのにおしてるつきのほからかにあきのゆふへとなりにけるかも

(福岡県福岡市)

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