2005年栃 木

妙雲寺〜泉漾太郎の俚謡〜
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小太郎ヶ渕から県道56号下塩原矢板線を下ると、紅葉の中に石碑があった。


おかね石


おかね石の裏側からビジターセンターへ行く遊歩道が整備されているそうだ。

 国道400号に出て、いつものように「手打ちそば遊蕎」で掛け蕎麦を食べ、妙雲寺へ。

 妙雲寺には芭蕉の句碑茂吉の歌碑を始め、塩原温泉ゆかりの文人墨客の歌碑・句碑・文学碑が点在している。

会津八一の歌碑


なづみきて野辺よりやまにいるみちのみみにさやけき水のおとかな

泉漾太郎の俚謡


照ろが曇ろが妙雲寺の庭で悟り顔した大欅

泉漾太郎和泉屋第14代主人である。

高尾の墓所にも泉漾太郎の俚謡の碑がある。


いろは紅葉は塩原高尾笑顔かよわす紋所

 高尾は寛永18年(1641年)塩原の元湯に生まれた。ちなみに元湯温泉「秘湯の宿元泉館」の源泉名は高尾の湯である。

 5歳の時、塩釜に移る。塩釜温泉「ホテル明賀屋」の駐車場に高雄塚があるそうだ。

 16歳の時太夫となり、二代目高尾を襲名。

 19歳で胸を患い、世を去る。

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