下 町中央区
indexにもどる

佃 島〜住吉神社〜

東京メトロ有楽町線月島駅を出て、佃島へ。


佃島は江戸と東京が入り交じった所。


手前に釣り船、背後に高層ビルが建ち並んでいる。

屋形船


右に住吉神社、後に聖路加セントルークスタワーが見える。

海鵜(うみう)がいた。


藤が咲いていた。


住吉神社


住吉神社は鷲神社下谷神社等とともに下町八福神のひとつ。

住吉神社

 住吉神社は江戸初期に摂津国西成郡(大阪市)佃村の漁民が江戸に移住した後、正保3年(1646年)に現在地に創建された佃島の鎮守です。

 当社は創建以来佃島の鎮護のみならず、水運関係の人々から篤い信仰を受けてにぎわいました。

 正面鳥居の上にある扁額は、珍しい陶製で、白地に呉須で額字や雲文を染付けています。明治15年(1882年)6月に制作され、額字の筆者は有栖川宮幟仁(たかひと)親王です。

住吉神社の扁額


榎本其角は佃島の住吉神社を詠んでいる。

名月やこゝ住吉のつくだ嶋


『韻塞』には「月影やこゝ住よしの佃島」とある。

佃島にあり。祭る神、摂州の住吉の御神に同じ。神主は平岡氏奉祀す。

正保年間摂州佃の漁民に、初めてこの地を賜はりしよりこゝに移り住む。

本国の産土神(うぶすな)なる故に分社してこゝにも住吉の宮居を建立せしとなり。(摂州佃村は、西成郡にあり。『古今集』にたみのゝ島とよめるはこれなり。かしこにも住吉明神の宮居ありて、神功皇后三韓征伐御帰陣の時、その地に御船の艫綱をかけ給ひしより已降(このかた)佃村の地に御船の鬼板を伝へ、いつき祭る事、千有余年なりといへり。当社はこの分社たり。)毎歳六月晦日名越祓修行あり。(例祭は毎歳六月廿八日・廿九日両日なり。人々群集す。)

      逍遥院実隆公住吉奉納和歌十首の題を詠じて奉りし中に

      江上月
   戸田茂睡

   この浦の入江の松に澄む月のみなれそなれて幾秋かへむ

名月やこゝ住吉のつくだじま
   其角

   
『江戸名所図会』(住吉明神社)

住吉神社の藤棚


 元文2年(1737年)5月20、佐久間柳居は江戸を立って箱根に向かう途中、住吉神社を遥拝している。

遊びよし爰住吉のよし雀
   麥阿


遊ひよしこゝ住よしのよし雀


 天明2年(1782年)、加舎白雄は大来と佃島に遊ぶ。

   佃にあそぶ二句

春の夜や船にたく火も篝かと
大来

はるの海月なき宵も朧なる
白雄


加舎白雄は他にも佃島で句を詠んでいる。

   佃島にて

夜の灯やここすみよしも蜀帝魂(ほととぎす)


岩間乙二も句を詠んでいる。

   佃 島

親もたぬ舟のねづみやあきの風


 文化2年(1805年)元旦、小林一茶は心可と佃島の住吉神社に初日の出を見に行く。

一日 晴 心可と佃島住吉の旭おがみに行く。

年立や日の出を前の船の松

欠鍋も旭さす也是も春

『文化句帖』(文化2年正月)

2句目は本所相生町の住居に戻ってからの句であろう。

佃島渡船跡へ。

下 町中央区〜に戻る