旅のあれこれ文 学


『古今和歌集』

 醍醐天皇の勅命による最初の勅撰和歌集。撰者は紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑。延喜5年(905年)、撰上。

 このうた、あめつちの、ひらけはじまりける時より、いできにけり。しかあれども、世につたはれることは、ひさかたのあめにしては、したてるひめにはじまり、あらがねのつちにしては、すさのをのみことよりぞ、おこりける。ちはやぶる神世には、うたのもじもさだまらず、すなほにして、事の心わきがたかりけらし。ひとの世となりて、すさのをのみことよりぞ、みそもじあまり、ひともじはよみける。

 かくてぞ、花をめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶ心、ことばおほく、さまざまになりにける。とほき所も、いでたつあしもとよりはじまりて、年月をわたり、たかき山も、ふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまで、おひのぼれるごとくに、このうたも、かくのごとくなるべし。なにはづのうたは、みかどのおほむはじめなり。 あさか山のことばは、うねめのたはぶれよりよみて、このふたうたは、うたのちゝはゝのやうにてぞ、てならふ人の、はじめにもしける。

 そもそも、うたのさま、むつなり。からのうたにも、かくぞあるべき。そのむくさのひとつにはそへうた、おほさゝぎのみかどを、そへたてまつれるうた、

   なにはづにさくやこのはな冬ごもり

   いまははるべとさくやこのはな、といへるなるべし。



 いにしへより、かくつたはれるうちにも、ならのおほむ時よりぞ、ひろまりにける。かのおほむ世や、哥のこゝろをしろしめしたりけむ。かのおほん時に、おほきみつのくらゐ、かきのもとの人まろなむ、哥のひじりなりける。これは、きみもひとも、身をあはせたりといふなるべし。秋のゆふべ、たつた河にながるゝもみぢをば、みかどのおほんめには、にしきと見たまひ、春のあした、よしの山のさくらは、人まろが心には、雲かとのみなむおぼえける。又山の邊のあか人といふ人ありけり。哥にあやしく、たへなりけり。人丸は赤人がかみにたゝむ事かたく、あかひとは人まろがしもにたゝむことかたくなむありける。この人々をを(お)きて、又すぐれたる人も、くれ竹の世々にきこえ、かたいとの、よりよりにたえずぞありける。これよりさきの哥をあつめてなむ、万えう(ふ)しふと、なづけられたりける。

  古今和歌集巻第一

    春哥 上

ふるとしに春たちける日よめる
在原元方
年の内に春はきにけりひととせをこぞとやいはんことしとやいはん

かすが野はけふはなやきそわか草のつまもこもれり我もこもれり

仁和のみかど、みこにおましましける時に、人に
わかなたまひける御うた

きみがため春の野にいでてわかなつむ我衣手に雪はふりつゝ

   はるの夜むめの花をよめる

春の夜のやみはあやなし梅花色こそみえねかやはかくるゝ

はつせにまうづるごとに、やどりける人の家に、ひ
さしくやどらで、程へて後にいたれりければ、かの
家のあるじ、かくさだかになむやどりはあると、い
ひいだして侍りければ、そこにたてりける梅の花を
をりてよめる
ひとはいさ心もしらずふるさとは花ぞむかしのかににほひける

なぎさのゐんにてさくらをみてよめる
世中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし

   花ざかりに京をみやりてよめる

みわたせば柳櫻を こきまぜて宮こぞ春の錦なりける

よしのがはの邊(ほとり)に山ぶきのさけるをよめる
吉野河岸の山吹ふく風にそこの影さへうつろひにけり

  古今和歌集巻第二

    春哥 下

さくらの花のちるをよめる
きのとものり
久方のひかりのどけき春の日にしず心なく花のちるらむ

題知らず
よみ人知らず
春ごとに花のさかりはありなめどあひみん事はいのちなりけり

小野小町
花の色はうつりにけりないたづらに我身世にふるながめせしまに

  古今和歌集巻第三

    夏

よみ人しらず
さつきまつ花たちばなのかをかげば昔の人の袖のかぞする

   ほとゝぎすのはじめてなきけるをきゝて
そせい
ほとゝぎすはつこゑきけばあぢきなくぬしさだまらぬ戀せらるはた

   ならのいそのかみでらにて郭公のなくをよめる

いその神ふるき宮この郭公こゑばかりこそむかしなりけれ

月のおもしろかりける夜あか月がたによめる
ふかやぶ
夏の夜は まだよゐながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらん

  古今和歌集巻第四

    秋哥 上

秋立つ日よめる
藤原敏行朝臣
あききぬとめにはさやかに見えねども風のを(お)にぞおどろかれぬる

題しらす
よみ人しらず
このまよりもりくる月のかげみれば心づくしの秋はきにけり

これさたのみこの家の哥合によめる
大江千里
月みればちゞにものこそかなしけれわが身ひとつの秋にはあらねど

たゞみね
久方の月の桂も秋は猶もみぢすればやてりまさるらむ

よみ人しらず
奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿のこゑきく時ぞ秋はかなしき

仁和のみかど、みこにおはしましける時、ふるのた
き御覧ぜむとておはしましけるみちに、遍昭がはゝ
の家にやどりたまへりける時に、庭を秋ののにつく
りて、おほむものがたりのついでによみてたてまつ
りける
僧正遍昭
さとはあれて人はふりにしやどなれや庭もまがきも秋ののらなる

  古今和歌集巻第五

    秋哥 下

これさだのみこの家の哥合のうた
文屋やすひで
吹くからに秋の草木のしほるればむべ山風をあらしといふらむ

二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏風に龍田川にもみぢながれたるかたをかけりけるを題にてよめる
 そせい
もみぢ葉のながれてとまるみなとには紅深き浪やたつらん
 
なりひらの朝臣
ちはやぶる神世もきかずたつたがはから紅に水くくるとは

  きた山にもみぢお(を)らんとてまかれりける時によめる
みる人もなくてちりぬる奥山のもみぢばはよるの錦なりけり

  しがの山ごえにてよめる
はるみちのつらき
山がはに風のかけたるしがらみはながれもあへぬもみぢなりけり

  古今和歌集巻第六

    冬哥

冬のうたとてよめる
源宗于朝臣
山ざとは冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬとおもへば

冬のうたとてよめる
雪ふれば冬ごもりせる草も木も春にしられぬ花ぞさきける

やまとのくににまかれりける時に、ゆきのふりけるを
見てよめる
坂上これのり
あさぼらけありあけの月とみるまでによしののさとにふれるしら雪

雪のふりけるをよみける
きよはらのふかやぶ
冬ながらそらより花のちりくるはくものあなたははるにやあるらむ

  古今和歌集巻第七

    賀哥

題しらす
讀人しらず
わがきみは千世にやちよにさゞれいしのいはほとなりてこけのむすまで

しほの山さしでのいそにすむ千鳥きみがみよをばやちよとぞなく

  古今和歌集巻第八

    離別哥

題しらす
在原行平朝臣
立ちわかれいなはの山の峰におふる松としきかは今かへりこむ

仁和のみかど、みこにおはしましける時に、ふるの
たき御らんじにおはしまして、かへりたまひけるに
よめる
兼藝法し
あかずしてわかるゝ涙たきにそふ水まさるとやしもはみゆらむ

  古今和歌集巻第九

    羇旅哥

ほのぼのとあかしのうらのあさぎりにしまがくれゆく舟をしぞ思ふ

このうたはある人のいはく、かきのもとの人まろがうた也

もろこしにて月を見てよみける
阿倍仲麿
あまの原ふりさけみればかすがなるみかさの山にいでし月かも

 この哥は、むかしなかまろをもろこしにものならはしにつかはしたりけるに、あまたのとしをへて、えかへりまうでこざりけるを、このくにより又つかひまかりいたりけるにたぐひて、まうできなむとて、いでたちけるに、めいしうといふところのうみべにて、かのくにの人むまのはなむけしけり。よるになりて月のいとおもしろくさしいでたりけるをみて、よめるとなむかたりつたふる。

おきのくににながされける時に、ふねにのりていで
たつとて、京なる人のもとにつかはしける
小野たかむらの朝臣
わたの原やそしまかけてこぎいでぬと人にはつげよあまのつり舟

あづまの方へ、ともとする人ひとりふたりいざなひていきけり。みかはのくにやつはしといふ所にいたれりけるに、その河のほとりにかきつばた、いとおもしろくさけりけるをみて、木のかげにおりゐて、かきつばたといふいつもじをくのかしらにすへ(ゑ)て、たびの心をよまんとてよめる。
唐衣きつゝなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞおもふ

むさしのくにと、しもつふさのくにとの中にある、すみだがはのほとりにいたりて、みやこのいとこひしうおぼへければ、しばし河のほとりにおりゐて、思ひやればかぎりなくとを(ほ)くもきにける哉と思ひわびて、ながめをるに、わたしもり、はや舟にのれ、日くれぬといひければ、舟にのりてわたらんとするに、みな人ものわびしくて、京におもふ人なくしもあらず、さるお(を)りに、しろきとりの、はしとあしとあかき、川のほとりにあそびけり。京にはみえぬとりなりければ、みな人みしらず、わたしもりに、これはなにどりぞととひければ、これなん宮こどりといひけるをききてよめる

名にしおはばいざこととはむ宮こどりわが思ふ人は有りやなしやと

これたかのみこのともに、かりにまかりける時に、
あまのかはといふ所のかはのほとりにおりゐて、さ
けなどのみけるついでに、みこのいひけらく、かり
してあまのかはらにいたるといふこゝろをよみてさ
か月はさせといひよみめる
かりくらしたなばたつめにやどからんあまのかはらに我はきにけり

みこ、このうたを返々よみつゝ返しえせずなりにけ
れば、ともに侍りてよめる
きのありつね
ひととせにひとたびきます君まてばやどかす人もあらじとぞ思ふ

朱雀院のならにおはしましたりける時に、たむけ山
にてよみける
このたびはぬさもとりあへずたむけ山紅葉の錦神のまにまに

  古今和歌集巻第十一

    戀哥 一

題しらす
よみ人しらず
ほとゝぎすなくやさ月のあやめぐさあやめもしらぬこひもする哉

在原もとかた
(お)とは山を(お)とにきゝつゝ相坂の關のこなたに年をふる哉

あさぢふのをののしのはらしのぶとも人しるらめやいふ人なしに

  古今和歌集巻第十二

    戀哥 二

題しらず
小野小町
思ひつゝぬれはや人のみえつらん夢としりせばさめざらましを

うたゝねにこひしき人をみてしよりゆめてふ物はたのみそめてき

とものり
夜ゐ(ひ)夜ゐ(ひ)にぬぎてわがぬるかり衣かけておもはぬ時のまもなし

東路のさやの中山なかなかになにしか人を思ひそめけむ

  古今和歌集巻第十四

    戀哥 四

題しらず
よみ人しらず
みちのくのあさかのぬまの花かつみかつみる人に戀ひやわたらん

いその神ふるのなかみちなかなかにみずはこひしとおもはましやは

宮城野のもとあらのこはぎつゆをおもみ風をまつごと君をこそまて

かはらの左大臣
みちのくのしのぶもぢずりたれゆへ(ゑ)にみだれんと思ふ我ならなくに

古今和歌集巻第十五

    戀哥 五

五條のきさいの宮のにしのたいにすみける人に、ほ
いにはあらでものいひわたりけるを、む月のとをか
あまりになん、ほかへかくれにける、あり所はきゝ
けれど、えものもいはで又のとしの春、むめの花さ
かりに、月のおもしろかりける夜、こぞをこひて、
かのにしのたいにいきて、月のかたぶくまで、あば
らなるいたじきにふせりてよめる
月やあらぬ春やむかしの春ならぬ我身ひとつはもとの身にして

  古今和歌集巻第十六

    哀傷哥

河原の左のおほいまうちぎみの身まかりてのち、か
の家にまかりてありけるに、しほがまといふ所のさ
まをつくれりけるをみてよめる

きみまさで煙たえにししほがまのうらさびしくもみえわたるかな

やまひしてよは(わ)くなりにける時よめる
つゐ(ひ)にゆく道とはかねてきゝしかどきのふけふとはおもはざりしを

  古今和歌集巻第十七

    雜哥 上

五節のまひひめをみてよめる
よしみねのむねさだ
あまつかぜ雲のかよひぢ吹きとぢよをとめの姿しばしとゞめむ

わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山にてる月をみて

寛平御時に、うへのさぶらひに侍りけるをのこども、
かめをもたせて、きさいの宮の御方におほみきのお
ろしときこえにたてまつりたりけるを、くら人ども
わらひて、かめをおまへにもていでて、ともかくも
いはずなりにければ、づかひのかへりきて、さなん
ありつるといひければ、くら人のなかにを(お)くり
ける
としゆきの朝臣
たまだれのこがめやいづらこよろぎの磯の波わけおきにいでにけり

おほかたは月をもめでじこれぞこのつもれば人のおいとなる物

これたかのみこのかりしけるともにまかりて、やど
りにかへりて、よひと夜さけをのみ、ものがたりを
しけるに、十一日の月もかくれなんとしけるお(を)
りに、みこゑひてうちへいりなんとしければよみ侍
りける
あかなくにまだきも月のかくるゝか山のはにげていれずもあらなん

なにはへまかりける時、たみののしまにてあめにあ
ひてよめる
雨によりたみののしまにけふゆけど名にはかくれぬ物にぞありける

ぬのひきのたきにてよめる
在原行平朝臣
こきちらすたきの白玉ひろひを(お)きて世のうき時の涙にぞかる

布引のたきのもとにて、人々あつまりて哥よみける
時によめる
なりひらの朝臣
ぬきみだる人こそあるらし白玉のまなくもちるかそでのせばはきに

  古今和歌集巻第十八

    雜哥 下

田むらの御時に、事にあたりてつのくにのすまとい
ふ所にこもり侍りけるに、宮のうちに侍りける人に
つかはしける
在原行平朝臣
わくらばに問ふ人あらばすまのうらにもしほたれつゝわぶとこたへよ

きせん法し
我いほは宮このたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり

題しらす
よみ人しらず
風吹けばおきつしらなみたつた山よはにや君がひとりこゆらむ

ある人、この哥はむかし大和の國なりける人の女(むすめ)に、ある人すみわたりけり。この女おやもなくなりて、家もわるくなり行くあひだに、この男河内のくにに人をあひしりてかよひつゝ、かれやうにのみなりゆきけり。さりけれども、つらげなるけしきもみえで、かう(ふ)ちへいくごとに男の心のごとくにしつゝ、いだしやりければ、あやしと思ひて、もしなきまにこと心もやあるとうたがひて、月のおもしろかりけるよ、かう(ふ)ちへいくまねにて、せんざいのなかにかくれてみければ、夜ふくるまで、ことをかきならしつゝうちなげきて、この哥をよみてねにければ、これをきゝて、それより、又外(ほか)へもまからずなりにけりとなんいひつたへたる

  古今和歌集巻第二十

   とりもののうた

神がきのみむろの山のさかきばは神のみまへにしげりあひにけり

みちのくのあだちのまゆみわがひかばすゑさへよりこしのびしのびに

  ひるめのうた

さゝのくまひのくま河にこまとめてしばし水かへかげをだにみん

  かへしもののうた

あをやぎをかたいとによりてうぐひすのぬふてふかさはむめの花がさ

    東哥

   みちのくうた

みちのくはいづくはあれどしほがまの浦こぐ舟のつなでかなしも

わがせこをみやこにやりてしほがまのまがきのしまのまつぞこひしき

(を)ぐろさきみつのこじまの人ならば宮このつとにいざといはましを

もがみ川のぼればくだるいなふねのいなにはあらずこの月ばかり

きみをお(を)きてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなん

さがみうた

こよろぎのいそたちならしいそなつむめざしぬらすなおきにをれなみ

かひうた

かひがねをさやにも見しがけゝれなくよこほりふせるさやのなか山

  墨滅歌(すみけちうた)

(お)きのゐ みやこしま
おののこまち
(お)きのゐて身をやくよりもかなしきは宮こしまべのわかれなりけり

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