榎本其角



『五元集』

榎本其角著、百万坊旨原編。

百万坊は小栗旨原の別号。江戸の人。

安永7年(1778年)6月16日、54歳で没。

 長慶集元亨釋書などきこえしは、集編なりたるそのとしの號をやがて名となむせられたり。これは延寶にはじまりて寶永に終るその間、五元をあらためたるが故なりかし。

 「長慶集」は白楽天の『白氏長慶集』。「元亨釋書」は鎌倉時代の禅僧虎関師錬が記した仏教史書。「五元」は延宝(1673−1681)、天和(1681−1684)、貞享(1684−1688)、元禄(1688−1704)、宝永(1704−1711)の五元。



   大音寺

んめがゝや乞食の家も覗かるゝ

元禄十四年二月廿五日、聖廟八百齢御年忌。於亀戸御社、詩哥連誹令興行一座

梅松やあがむる数も八百所

   正月己巳布施の辨才天へ詣侍る奉納

玉椿晝とみえてや布施籠

行水や何にとゞまるのりの味

   三月正當三十日

山吹も柳の糸のはらみ哉

   題水

ちくま河春行水や鮫の髄

元禄丙子のとしむ月末つかたに浅茅がはら出山寺にあそび侍り。畠中の梅のほづえに、六分斗なる蛙のからを見つけて、鵙の草莖なるべしと折とり侍る。

草茎をつつむ葉もなき雲間哉

沾徳岩城に逗留して、餞別の句なき恨むるよし聞え侍りしに

松島や嶋かすむとも此序

   南村千調仙臺へかへるに

行春や猪口を雄嶋の忘貝

   宰府参詣の舟中

菜の花の小坊主に角なかりけり

菓子盆にけし人形や桃の花

鶯に罷出たよひきがえる

雀子やあかり障子の笹の影

   護国寺にあそぶ時、馬にてむかへられて

白雲や花に成行顔は嵯峨

   東叡山 三句

小坊主や松にかくれて山櫻

八ッ過の山のさくらや一沈み

人は人を戀の姿やはなに鳥

   芳野山ふみして

明星や櫻さだめぬ山かつら

   折に殺生偸盗あり

あだ也と花に五戒の櫻哉

   日輪寺の僧と連歌のかたはらに對興して

花に酒僧とも侘ん塩肴

   上野清水堂にて

鐘かけてしかも盛のさくら哉

   永代寺池邊

池を呑犬に入あひ花の影

   雜司谷にて

山里は人をあられの花見哉



   亦打山

夜こそきけ穢多が太鼓鵑

母におくれ侍りてたのみなきゆめのみ見る暁

夢に来る母をかへすか郭公

姉が崎の野夫忠功孝心をきこしめされて禄を給はりたる事、世にきこえ侍るを

起きて聞け此ほととぎす市兵衛記

   卯月八日母におくれて

身にとりて衣がへうきう月哉

   護国寺にあそぶ

水漬に泪こぼすや杜若

   寄幻吁長老

老僧の筍をかむなみだ哉

牛島三遶の神前にて雨乞をするものにかわりて

夕立や田を見めぐりの神ならば

   翌日雨降る

   こまがた

此碑では江を哀まぬ螢哉

   厳有院殿の大法事を東叡山に拝ミ奉ル

五月雨の雲も休むか法の聲

露江公溜池の高閣にはしめて涼を挽とき当座とおせ(ママ)ありけれは

夏山に我は御簾とる女哉

住吉にて西鶴か矢数誹諧せし時に後見たのみければ

驥の歩み二萬句の繩あふぎけり

鬼のやうなる法師みちのくへくだるとて道祖神にとがめられ、異例して何がしのもとに介抱せられ、漸生のびて心よはき文ども送られしかへしに

辨慶も食養性や瓜畠

   高閣挽涼

香需散犬がねぶつて雲の峰



木母寺に歌の會あり今日の月

名月やこゝ住吉のつくだ嶋

新月やいつをむかしの男山

名月や畳のうへに松の影

闇の夜は吉原はかり月夜哉

いさよひや竜眼肉のから衣

   増上寺晩景

馬老ぬ灯籠使の道しるべ

十五から酒をのみ出てけふの月

   待乳山

こよひ満り棹のふとんにのる烏

稲づまやきのふは東けふは西

身にしむや宵曉の舟じめり

   上交語上

平家也太平記には月も見ず

   弘福寺

木犀や六尺四人唐めかす

つほみとも見えす露あり庭の萩

   三遶奉納

早稲酒や稲荷よび出す姥がもと

酒買に行か雨夜の雁孤

   みの路に入て 素牛にて

砧きかん孫六屋敷志津屋敷

秋の空尾上の杉にはなれたり

   二 見

岩の上に神風寒しはな薄

   二月堂にまいりけるに七日断
   食の僧、堂のかたはらに行ふ
   こゑを聞て

日の目見ぬ紙帳もてらすもみぢ(※「木」+「色」)

   筥 根

杉の上に馬ぞ見えくる村紅葉

   山 行

道役に紅葉はく也さよの山

七十の腰もそらすか鳴子曳

   三嶋にて重陽

門酒や馬屋の脇のきくを折

朝霧や空飛夢を不二颪

うら枯や馬も餅くふうつの山

   荷兮か従者たんさくほしかるに

土器の手きは見せはやけふの菊

   素堂 残菊の会に

此菊に十日の酒の亭主あり



   寳永三戌十一月廿二日、妙身童女を葬りて

霜の鶴土にふとんも被されず

   玉津嶋にて

御留居に申置也かみな月

   芭蕉翁三回

しぐるゝや此も舟路を墓参

   金閣寺

八畳の楠の板間をもるしぐれ

   芭蕉翁病床

吹井より鶴をまねかん時雨哉

井波門主応心院殿ありそうみとなみ山の二集ゑらみ給ふに 御所望

凩や沖より寒き山のきれ

   糸屋十右衛門宅にて

嵯峨山や都は酒の戎かう

   芭蕉翁を見送りて

冬枯をきみか首途や花曇

   住吉にて

芦の葉を手より流すや冬の海

   大津 まつもとにて

雪の日や船頭とのゝ顔の色

   西運寺興行

初雪に人ものほるか伏見舟

   立徘徊

はつ雪や内にゐさうな人は誰

『五元集拾遺』



      春之部

日の春をさすかに鶴の歩み哉

   吉原の初午

初午や賽銭よみは芝居から

   支考が遠遊のこゝろざし有けるに

白川の關に見返れいかのぼり

      夏之部

   東叡山院

僧正の青きひとへや若楓

   上行寺

灌佛や墓にむかへる獨言

   江の島

微雨の窟座頭一曲聞へ給へ

いらこの杜國、例ならでうせけるよしを、越人より申聞へける。翁にもむつましくして、鷹ひとつ見つけてうれし、と迄たづねあはれける昔をあもひて

羽ぬけ鳥鳴音ばかりぞいらこ崎

石の枕に鮓やありける今の茶屋

夏の月蚊を疵にして五百両

   冠里公備中松山初入の時

つと暑や浦の苫屋の軸うつり

夕すゞみよくぞ男に生れけり

此句いづれの集にか他人の句にせり。予晋子の書れし自畫讃を見たり。

夕立や法華かけ込あみだ堂

      秋之部

文月やひとりはほしき娘の子

   

まくり手に松むしさがす浅茅哉

   元禄六酉仲秋深川芭蕉庵留守の戸に入て

生綿とる雨雲たちぬ生駒山

      冬之部

松原のすき間を見する時雨哉

此句は晋子夢に若宮八幡宮に詣られての吟なりとぞ。

   芭蕉翁終焉の記 文略

なきがらを笠にかくすや枯尾花

住すてし幻住庵にはいかなる句をか残されけんそれはそれさて世の中をうけ給るに

妖なから狐貧しき師走かな

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