私の旅日記2011年

伊藤左千夫記念公園〜碑巡り〜
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伊藤左千夫記念公園伊藤左千夫と左千夫ゆかりの歌人の歌碑があった。

古泉千樫の歌碑


この庭の槐(えんじゅ)わか葉のにひみどりにほへる蔭にわれ立ちにけり

 古泉千樫は千葉県鴨川市出身の歌人で、左千夫門下の一人である。明治37年『アシビ』に入選したのを機に根岸派歌人として出発、その後『アララギ』でも活躍した。

 平淡澄明な歌風に特色があるが、晩年には都会の小市民的な生活詠を残した。

 歌は明治40年5月10日、上京して初めて茅場町の左千夫宅を訪れたときのものである。

島木赤彦の歌碑


立川の茅場の庵は青田風時じくに吹く椎の若葉に

 島木赤彦は長野県諏訪市出身の教育者・歌人で、『比牟呂』を創刊、左千夫の『アララギ』に参加し、のちその指導のもとに『アララギ』と合同して根岸派歌人として活躍した。写生短歌を深化させ「鍛錬道」を唱導し、写生の道をきわめた。

 歌は明治38年6月25日、茅場町の左千夫宅を訪れたときのものである。

長塚節の歌碑


千葉の野を越えてしくれば蜀黍の高穂の上に海あらはれぬ

 長塚節は茨城県結城郡石下町出身の小説家・歌人で、左千夫と同時代に子規門下として活躍、『アシビ』と初期『アララギ』時代を共に歩んだ。

 透徹した歌風に特色があり、気品と冴えとによる写生歌に独自の世界をつくった。

 歌は明治35年8月、千葉を旅したときのものである。

正岡子規の歌碑


たて川の茅場の庵を訪ひ来れば留守の門辺に柳垂れたり

 正岡子規は愛媛県松山市出身の俳人・歌人で、上京後俳句・短歌の革新につとめ『日本』を中心に客観的俳句・短歌の世界をきずいた。万葉集尊重の立場から「歌よみに與ふる書」を書き、左千夫・節をはじめ多くの門人を集めた。

 歌は明治33年4月29日、茅場町の左千夫宅を訪れたときのものである。

伊藤左千夫の歌碑


九十九里の波の遠音や降り立ては寒き庭にも梅咲きにけり

 大正2年2月、左千夫は久しぶりに郷里に帰り、生家や成東館に滞在した。この歌はその時のもので、『青年日本』に「南総の春」と題して発表したものである。波の遠音や庭前の梅を愛でて故郷早春の情緒をあらわした一首である。

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