蕉 門

池西言水

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奈良の人。江戸へ出て、談林派の俳人として活躍。

 「木枯しの果はありけり海の音」という句が評判になり、「木枯しの言水」と呼ばれるようになった。

慶安3年(1650年)、奈良に生まれる。

延宝6年(1678年)、『江戸新道』。

延宝9年(1681年)6月、『東日記』成立。

天和3年(1683年)、肥後熊本の清正の廟を訪れる。

   肥後の国加藤清正の廟に詣て

爰に秋あつて朝鮮扇破レけり


貞享元年(1684年)、象潟を訪れる。

   象潟蚶満寺

經音荻に有をのれ角折磯栄螺

   象潟にて

月ハ蚶潟や下戸ハ見のがす芦間蟹


貞亨2年(1685年)9月、酒田を訪れる。

蚤させし我恥ふるふ袖の浦

元禄3年(1690年)、『新撰都曲』。

享保7年(1722年)9月24日、没。

享保8年(1723年)、言水一周忌追善集『海音集』(金毛編)。

愛知県犬山市の尾張冨士大宮浅間神社に言水の句碑がある。



凩の果はありけり海の音

言水の句

松しまの月さかせたらなん江戸ざくら

御前句や西行もどり花の跡


神の森四角にハ見ぬさくら哉

神楽哥かゝむはせをの廣葉哉


 いて羽なるきさかた
   旅寝して

夜や秋や蜑の痩子や鳴鴎


團栗は小春に落る端山かな


   壬生の辺にまかりて

匂ひ来る早稲の中より踊哉


夕くれや烏もふたつ池の鴛


名月やいまだ増賀の裸ごろ


箱さきや爰にては鳩を呼子とり


凩の果は有けり海の音


匂ひ来る早稲の中より躍かな


火の影や人にて凄き網代守


さらしなや馬の恩しる秋の月


山萩の添へ竹はなし去ながら


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