旅のあれこれ


勝海舟ゆかりの地

 文政6年(1823年)正月30日、江戸本所亀沢町(現:両国4丁目)の男谷邸に生まれる。

 安政2年(1855年)9月1日、長崎に向かう。10月20日、長崎着。長崎海軍伝習所第1期生として入校。

 安政2年(1857年)10月、練習艦「観光丸」の艦長として富岡(苓北町)などをへて崎津に寄港。

 安政3年(1856年)10月、長崎海軍伝習所の訓練中に観光丸で富岡に来航。

 安政5年(1858年)2月、咸臨丸で下関・五島・対馬・鹿児島などを巡航。鹿児島では島津斉彬に拝謁。

 安政6年(1859年)正月15日、長崎の伝習を終え、江戸帰府。

 安政6年(1859年)7月、勝海舟は赤坂本氷川坂下、のちの氷川町(現:赤坂6丁目10番39号)に移り住む。

 安政7年(1860年)正月13日、咸臨丸で品川沖を出航。福沢諭吉・中浜万次郎(ジョン万次郎)らと同行。2月25日、サンフランシスコ到着。

 万延元年(1860年)閏3月18日、サンフランシスコを出航。5月5日、浦賀に帰港。

 文久3年(1863年)8月18日の政変(七卿落)。

 文久3年(1863年)9月、桂小五郎は在京中の勝海舟を訪ねる。

 元治元年(1864年)2月5日、一橋慶喜より長崎派遣を命じられる。2月23日、島原から陸路長崎に入った。坂本龍馬同行。4月12日、大阪帰還。

 元治元年(1864年)5月14日、軍艦奉行となり、神戸海軍操練所設置。安房守に叙せられる。

 元治元年(1864年)7月19日、蛤御門の変(禁門の変)。11月10日、軍艦奉行罷免。

 慶應2年(1866年)5月28日、軍艦奉行再勤を命じられる。

 慶應3年(1867年)3月5日、海軍伝習掛を命じられる。

 慶應4年(1868年)正月17日、海軍奉行並となる。23日、陸軍総裁となる。

 慶應4年(1868年)3月13日、高輪の薩摩藩邸にて西郷隆盛と会見。14日、田町で再び西郷隆盛と会見、江戸無血開城を決める。

 慶應4年(1868年)9月8日、明治に改元。

 明治元年(1868年)、徳川慶喜に従って、静岡市に移る。

 明治2年(1869年)7月13日、安房守を安芳と改める。

 明治5年(1872年)、再び上京し、赤坂区氷川町4番地(現:赤坂6丁目6番14号)に住む。

 明治8年(1875年)11月、元老院議官を辞す。

 明治12年(1879年)、西郷隆盛(南洲)留魂詩碑を建立。

 明治14年(1881年)、飛鳥山公園に「象山先生櫻賦」の碑を建立。

 明治16年(1883年)、西郷隆盛の魂魄を招祠して留魂祠を建立。

 明治24年(1891年)、別邸洗足軒を建築。

 明治32年(1899年)1月19日、脳溢血で没す。77歳。25日、青山で葬儀が行われた。渋沢栄一も葬儀に参列している。

名倉医院

(東京都足立区)

勝安芳の像

墨田区役所(東京都墨田区)

勝海舟生誕の地

両国公園(東京都墨田区)

「象山先生櫻賦」の碑

飛鳥山公園(東京都北区)

勝安房邸跡

(東京都港区)

勝海舟邸跡

(東京都港区)

田町薩摩邸(勝・西郷の会見地)

(東京都港区)

留魂祠

(東京都大田区)

勝海舟夫妻の墓

(東京都大田区)

勝海舟記念館

(東京都大田区)

洗足軒

(東京都大田区)

本門寺

(東京都大田区)

海軍操練所跡

(兵庫県神戸市)

長崎海軍伝習所

(長崎県長崎市)

丸山花街

(長崎県長崎市)

島原城

(長崎県島原市)

富岡城

(熊本県天草郡苓北町富岡)

ア津教会

(熊本県天草市)

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