2015年長 崎

丸山花街〜「長崎検番」〜
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長崎市丸山町に「長崎検番」がある。


「長崎検番」


丸山花街

 日本三大花街のひとつと言われ丸山は、寛永19年(1642年)市内に散在していた遊女屋を官命により一箇所に集めたのが始まりです。丸山は江戸時代、海外貿易の発展とともに栄華を極め、上方などから多くの貿易商や知名士が集まり、元禄時代に全盛期を迎えました。丸山の遊女の数は、元禄5年(1692年)には1,443人を数えるほどでした。また、江戸時代後期には、日本を代表する漢学者で歴史家の頼山陽や幕末の志士・坂本龍馬等も訪れています。手彩色の絵葉書は明治後期から大正期のもので、史跡料亭「花月」付近から長崎検番方面を眺望したものです。

長崎丸山町遊廓


明和8年(1771年)5月、蝶夢は丸山遊女町を通っている。

丸山といふ遊女町を通りけるに、唐人になれむつぶ女とも覚えず、いと艶にやさし。されどうたふ声も引糸もさすがに都遠き音色ぞ有ける。その夜は餞(はなむけ)せんとて、卓子のもてなしに色々のさかなもとめ出て興ふかきにも、行先のはるけさをおもひわびて悲し。


羅城は丸山花街で句を詠んでいる。

   長崎丸山を過る

昼見てハ暑ひもの也廓町


長崎に茂吉のありしころ戀しいまも忘れず丸山の酒

『故 園』

昭和34年(1959年)3月、吉井勇は長崎を訪れた。

丸山に往けば人呼ぶ女ありき娼家ここだく軒をならべて

「『形影抄』以後」

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