天明2年(1782年)、大黒屋光太夫は遠州灘にて遭難、翌年ロシアに漂着。 |
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寛政4年(1792年)、大黒屋光太夫帰国。 |
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文政11年(1828年)、78歳で江戸にて没した。 |
中浜万次郎〔ジョン・万次郎1827.1.27〜1898.11.12〕。近代日本初の国際人。中ノ浜出身。1841年出漁中に遭難するが、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号のウィリアム・H・ホイットフィールド船長に助けられ、船長の生地フェアヘーブンで学校教育をうけるとともに見聞を広める。1851年帰国後、その国際知識をかわれて幕府直参となり、1860年には遺米使節の一員に加えられるなど、開国に向けて大役を果たす。そして1898年71歳の生涯を閉じるが、広い視野に立ち、日米交流の礎を築いた万次郎の功績は、国際化時代の今日ますます意義深いものとなっている。また、土佐清水市は1987年12月、万次郎の縁でマサチューセッツ州フェアヘーブン、ニューベッドフォードと姉妹都市を結び友好交流を深めている。 |
安政7年(1860年)正月13日、勝海舟は咸臨丸で品川沖を出航。福沢諭吉・中浜万次郎(ジョン万次郎)らと同行。2月25日、サンフランシスコ到着。 |
足摺岬展望台 懸崖の根釣のすがる道ぞなき 根釣いま落暉のもゆる中に立つ
『晩華』 |
足摺岬に句碑を建つるとて 岩は皆渦潮しろし十三夜
『晩華』 |