下 町北 区
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王子神社〜大イチョウ〜

王子稲荷神社から王子神社に向かう。

王子大坂

 飛鳥山に沿って東におりた岩槻街道は、石神井川を渡って左に曲がり、現在の森下通りを抜け、三本杉橋の石の親柱の位置から北西に台地を登る。この坂が王子大坂である。岩槻街道は江戸時代、徳川将軍の日光社参の道で日光御成道と呼ばれた。登り口に子育地蔵があったので地蔵坂とも呼ばれ、昔は縁日でにぎわった。また、坂の地形が、海鳥の善知鳥(うとう)の嘴(くちばし)のようなので「うとう坂」の名もある。

北区教育委員会

王子神社


元准勅祭神社東京十社めぐり

 明治元年(1868年)、明治天皇が東京の鎮護と万民の安寧を祈るために准勅祭神社として十のお社を定めたそうだ。

東京十社巡拝路程圖


根津神社   芝大神宮
神田神社   日枝神社
亀戸天神社   品川神社
白山神社   富岡八幡宮
王子神社   氷川神社

品川神社・白山神社には行ったことがない。

王子神社から音無親水公園に下る途中に、大イチョウがある。

 東京都指定文化財天然記念物

王子神社のイチョウ

 音無川(石神井川)左岸岸線の肩の部分に一際高くそびえ立つ大イチョウです。幹囲5.2m、樹幹の先端部は欠損していますが、高さは24.2mあり、全体的にはほぼ自然樹形を保っています。

 王子神社の創初については、飛鳥山公園内にある「飛鳥山碑」(都指定有形文化財・古文書)に書かれています。それによれば、元亨年間(1321〜24)に豊島氏が勧請したことが始まりとされていますので、その頃にこのイチョウが植えられたとすると、600年近い樹齢と考えられます。戦災によって王子神社の社殿や太田道灌が雨宿りをしたという伝説を持つシイの大木など多くのものが失われた中で、このイチョウは生き延び、今も高台から東京の街の移り変わりを静かに見つめています。

東京都教育委員会

大イチョウの下に大谷暁山の句碑があった。


暮際もなく
 夜にうつる
  さくらかな

「八十三翁大谷暁山」「八十四翁一葉書」とある。

大谷暁山は元王子町長。

 明治41年(1908年)8月8日、王子町誕生。

 昭和5年(1930年)8月13日、句碑建立。

 昭和7年(1932年)10月T日、東京市編入により王子町は岩淵町とともに王子区となる。

大イチョウを見上げる。


王子権現の麓を流る。(故に紀伊国音無河を模(うつ)してかくは名づくるとぞ。)本名を石神井川といふ。(武州石神井村三宝寺の池より発するところなり。)下流は荒川といふ。(世俗滝野河と云ふは誤りなり。滝野河村と号して河の号(な)にはあらず。)
『江戸名所図会』(音無河)

音無親水公園


   根岸音無川

柳散り菜屑流るゝ小川哉

『寒山落木』(巻三)

   根岸名所ノ内

下駄洗ふ音無川や五月晴

『俳句稿』(明治30年)

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