社伝によれば平安時代の中頃(寛弘2年・1005年)に伊勢の内外両宮の御分霊をまつり鎮座されたといわれる区内有数の古社である。 毎年9月中旬には「だらだら祭」とよばれる祭礼がおこなわれ、江戸時代より現在まで生姜、千木箱、甘酒などが境内で売られていることでも地元とのつながりが深い。 所蔵する文化財として、絵画では江戸末期の建部巣兆の箱根詣図(紙本着色)などがある。 古文書では建武4年(1337)正月7日の足利直義御教書(勝利の祈祷を依頼したもの)、天正16年(1588)7月24日の吉良氏朱印状がある。
港区教育委員会 |
晴れて風暖なり。ホ(※「日」+「甫」)下芝神明宮境内の茶亭小菊に飯す。
『斷腸亭日乘』(昭和8年2月27日) |
燈刻芝口に飯して後芝公園を歩む。神明宮祭禮なり。増上寺三門前の老松枯れし後切去られて今は殆無し。御靈屋門際の松も一二本殘れるのみ。これも遠からず枯死すべし。此日晴れて日の光照りわたれり。
『斷腸亭日乘』(昭和16年9月20日) |
根氣根 |
|||||||||
氣 |
|||||||||
何事も |
|||||||||
根氣 |
|||||||||
實篤 |
災厄は忘れた頃來るという。関東大震災も亦然り。當時の惨状は言語に絶し、東京は焼野原と化し、政府は直ちに支拂猶豫令を布いた。然るに其の中にあって、ひとり預金の全額拂戻しを断行し、大東京の復興に多大の貢献をした銀行がある。其名を不動貯金銀行という。即ち牧野元次郎翁が頭取であった。其不動貯金銀行本店の當時の焼跡から出た欄稈破片二個は(関東大震災記念右天沼雄吉寄贈)之である。 |
そよりとも風はなけれど夜涼かな | 立子 |
千年の神燈絶えず去年今年 | 椿 |
界隈のたらだら祭なる人出 | 高士 |