2006年東 京

神田明神〜少彦名命(えびす様)ご尊像〜
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 JR総武線御茶ノ水駅を出て聖橋を渡ると、湯島聖堂の裏に神田明神(HP)がある。


神田明神


 天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村(現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建。

 慶長5年(1600年)、徳川家康は関ヶ原の戦いに臨む際、戦勝の祈祷を行なう。

 元和2年(1616年)、江戸城の表鬼門あたる現在の地に遷座。

随神門


昭和50年(1975年)、建立。

聖堂の北にあり、唯一にして江戸総鎮守と称す。

祭神 大己貴命・平親王将門の霊 二坐

社伝に日く、人皇四十五代聖武天皇の御字、天平二年の鎮座にして、そのはじめ柴崎村に(その旧地神田橋御門の内にあり。)ありし頃、中古荒廃し既に神燈絶えなんとせしを、遊行上人第二世真教坊、東国遊化の砌こゝに至り、将門の霊を合せて二座とし、社の傍に一字の草庵をむすび、芝崎道場と号す(今の浅草日輪寺これなり)。その後慶長八年当社を駿河台にうつされ(その頃日輪寺は柳原にて地をたまふ。)、元和二年また今の湯島にうつさせらる。その儘旧号を用ひて神田大明神と称す(神主は代々柴崎氏なり。)


社 殿


明治時代に社名を神田明神から神田神社に改称した。

東京十社のひとつである。

 大正12年(1923年)9月1日、関東大震災により焼失、昭和9年(1934年)に再建。

耐火構造の為、戦災を免れた。

国の登録文化財である。

御祭神

大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
平将門(たいらのまさかどのみこと)

大己貴命(おおなむちのみこと)は、だいこく様。

少彦名命(えびす様)ご尊像


平成17年(2005年)、東京芸術大学学長宮田亮平教授によって完成。

 えびす様は、海のかなたから小さな木の実の殻の舟に乗って来臨され、小さいお姿ながら大きなだいこく様(大己貴命)と力を合わせ、この日本という国をお作りになった神様である。

 神田祭は神田明神の祭礼。古くは9月15日に行われていたが、台風・疫病流行の時期を避けるため、明治25年の神田祭から5月15日に変更。江戸の代表的祭礼で、山王祭とともに天下祭と呼ばれ、また江戸の二大祭と称された。

 文化4年(1809年)3月7日、小林一茶は春里、雨十と浅草を始め江戸市中の寺社巡りをして、神田明神を訪れている。

 七日 晴 春里、雨十と浅草巡。白金町、白幡イナリ、筋違相生橋、スルガ台太田姫、神田[明]神、湯島、上野大石灯籠、寛永八年十月十七日佐久間大膳亮勝之トアリ。大良(郎)イナリ、七軒寺町東陽寺[手]向野アリ。

『文化句帖』(文化4年3月)

 文化8年(1813年)5月14日、一茶は神田祭を見ている。

十四 晴 神田祭 五節ノ作リモノ紺屋町ニテ一見

『七番日記』(文化8年5月)

神田明神は、森鴎外の小説『雁』で「岡田」の散歩道のひとつである。

 或る時は大学の中を抜けて赤門に出る。鉄門は早く鎖されるので、患者の出入する長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので、今春木町から衝き当る処にある、あの新しい黒い門が出来たのである。赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅の曲擣(きょくづき)をしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。

森鴎外『雁』

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