私の旅日記〜2006年〜
神田明神〜少彦名命(えびす様)ご尊像〜
神田明神
正式名称は神田神社。
明治時代に社名を神田明神から神田神社に改称した。
随神門
昭和50年(1975年)、建立。
社殿
大正12年(1923年)、関東大震災により焼失、昭和9年(1934年)に再建。
耐火構造の為、戦災を免れた。
国の登録文化財である。
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)
|
少彦名命(すくなひこなのみこと)
|
平将門命(たいらのまさかどのみこと)
|
大己貴命(おおなむちのみこと)は、だいこく様。
少彦名命(えびす様)ご尊像
平成17年(2005年)、東京芸術大学学長宮田亮平教授によって完成。
えびす様は、海のかなたから小さな木の実の殻の舟に乗って来臨され、小さいお姿ながら大きなだいこく様(大己貴命)と力を合わせ、この日本という国をお作りになった神様である。
神田祭は神田明神の祭礼。古くは9月15日に行われていたが、台風・疫病流行の時期を避けるため、明治25年の神田祭から5月15日に変更。江戸の代表的祭礼で、山王祭とともに天下祭と呼ばれ、また江戸の二大祭と称された。
文化4年(1809年)3月7日、小林一茶は春里、雨十と浅草を始め江戸市中の寺社巡りをして、神田明神を訪れている。
七日 晴 春里、雨十と浅草巡。白金町、白幡イナリ、筋違相生橋、スルガ台太田姫、神田[明]神、湯島、上野大石灯籠、寛永八年十月十七日佐久間大膳亮勝之トアリ。大良(郎)イナリ、七軒寺町東陽寺[手]向野アリ。
『文化句帖』(文化4年3月)
文化8年(1813年)5月14日、一茶は神田祭を見ている。
十四 晴 神田祭 五節ノ作リモノ紺屋町ニテ一見
『七番日記』(文化8年5月)
神田明神は、森鴎外の小説『雁』で「岡田」の散歩道のひとつである。
或る時は大学の中を抜けて赤門に出る。鉄門は早く鎖されるので、患者の出入する長屋門から這入って抜けるのである。後にその頃の長屋門が取り払われたので、今春木町から衝き当る処にある、あの新しい黒い門が出来たのである。赤門を出てから本郷通りを歩いて、粟餅の曲擣(きょくづき)をしている店の前を通って、神田明神の境内に這入る。
森鴎外『雁』
「私の旅日記」〜2006年〜に戻る