私の旅日記
千里南公園〜千里石ぶみの丘〜
吹田市津雲台に千里南公園がある。
昭和38年(1963年)2月7日、開園。
牛ヶ首池
池の周囲に「千里石ぶみの丘」がある。
昭和57年(1982年)から文学碑15基とレリーフ1基が吹田市に寄贈されたそうだ。
芭蕉の句碑
ふる池や蛙飛込む水のおと
出典は『蛙合』(仙化編)。
貞亨3年(1686年)春、深川芭蕉庵で詠まれた句。
同年8月、『春の日』に収録された。
一茶の句碑
痩せ蛙まけるな一茶是(これ)にあり
出典は『七番日記』(文化13年3月)。
希杖本『一茶句集』の前書きに「武蔵の国竹の塚といふに、蛙のたたかひありける、見にまかる。四月廾日なりける」とある。
炎天寺で詠んだものとされる。
千代女の句碑
あさがほに釣瓶とられてもらひ水
『千代尼句集』(既白編)所収の句。
千代は各務支考・仙石廬元坊の門人。
元禄16年(1703年)、加賀国松任町の表具屋福増屋六左衛門の女として生まれる。
18歳の頃、結婚。夫と子に死別、実家に帰ったといわれている。
51歳の時、出家して素園と号した。
明和元年(1764年)、『千代尼句集』(既白編)刊。藤松因序・半化闌更跋。
安永4年(1775年)9月8日、没。
与謝野晶子の歌碑
やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
出典は『みだれ髪』。
明治33年(1900年)の歌。
会津八一の歌碑
ひそみきてたがつくかねぞさよふけてほとけもゆめにいりたまふころ
出典は『寒燈集』。「観音堂」10首の中の1首。
柳原白蓮の歌碑
和田津海の沖に火もゆる火の国にわれあり誰ぞやおもわれ人は
明治18年(1885年)、白蓮は柳原前光の娘として生れた。
北大路資武と離婚した後、九州の富豪伊藤伝右衛門に嫁し、その美貌と才気と文筆により「筑紫の女王」と謳われた。
大正10年(1921年)、社会運動家宮崎竜介と恋愛結婚をした。
昭和42年(1967年)2月22日、81歳で死去。
平成26年(2014年)、NHK連続テレビ小説『花子とアン』の葉山蓮子(仲間由紀恵)のモデルである。
額田女王の歌碑
茜草指武良前野逝標野行
| 茜さす紫野の行き標野(しめの)行き
|
|
野守者不見哉君之袖布流
| 野守は見ずや君が袖振ふる
|
出典は『万葉集』(巻1)。
「天皇蒲生野に遊猟せられた時、額田女王の作られた歌」と詞書がある。
天智天皇7年(668年)5月5日、近江国蒲生野(滋賀県八日市市)に狩猟された時の歌。
防人の歌碑
防人に行くは誰が夫(せ)と問ふ人を見るが羨(とも)しさ物思(もひ)もせず
出典は『万葉集』(巻20)。
「昔年の防人の歌八首」の1首。
道灌ゆかりの古歌の碑
七重八重花は咲けども山吹のみの一つだになきぞ悲しき
『後拾遺和歌集』(巻19)、中務卿兼明親王の和歌だそうだ。
張継の漢詩碑
楓 橋 夜 泊
| 張継
|
|
月 落 烏 啼 霜 満 天
| 月落ち烏啼ないて霜天に満つ。
|
|
江 楓 漁 火 対 愁 眠
| 江楓漁火愁眠に対す。
|
|
姑 蘇 城 外 寒 山 寺
| 姑蘇城外の寒山寺。
|
|
夜 半 鐘 声 到 客 船
| 夜半の鐘声客船に到る。
|
張継は中唐の詩人。
「私の旅日記」に戻る