八代集の第四、『拾遺和歌集』の後継として編まれた勅撰和歌集である。勅命は白河天皇、撰者は藤原通俊。 |
承保2年(1075年)、奉勅。 応徳3年(1086年)、奏覧。 |
永承四年内裏歌合によめる |
あらし吹くみ室の山の紅葉ばは竜田の川の錦なりけり |
後拾遺和歌抄第九 羈旅 |
津の国へまかりける道にて |
蘆の屋の昆陽のわたりに日は暮れぬいづち行くらん駒にまかせて |
為善朝臣、三河守にて下り侍りけるに、墨俣 といふわたりに降りゐて、信濃のみさかを見 やりてよみ侍ける |
白雲の上より見ゆるあしひきの山の高嶺やみさかなるらん |
東路の方へまかりけるに、うるまといふ所に て
源重之 |
東路にこゝをうるまといふことは行きかふ人のあればなりけり |
陸奥国にまかり下りけるに、白河の関にてよ み侍りける |
都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関 |
出羽(いでは)の国にまかりて、象潟といふ所にてよめ る |
世の中はかくても経けり象潟の海士の苫屋をわが宿にして |
後拾遺和歌抄第十一 恋一 |
女にはじめてつかはしける
藤原実方朝臣 |
かくとだにえやはいぶきのさしもぐささしも知らじな燃ゆる思ひを |
後拾遺和歌抄第十二 恋二 |
中関白少将に侍りける時、はらからなる人に 物言ひわたり侍けり、頼めてまうで来ざりけ るつとめて、女に代りてよめる
赤染衛門 |
やすらはで寝なましものを小夜ふけてかたぶくまでの月を見しかな |
かれがれになる男の、おぼつかなくなどいひ たるによめる
大弐三位 |
有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする |
後拾遺和歌抄第十三 恋三 |
伊勢の斎宮わたりよりのぼりて侍りける人に、 忍びて通ひけることをおほやけも聞しめして、 守り女(め)など付けさせ給ひて、忍びにも通はず なりにければ、よみ侍りける
左京大夫道雅 |
逢坂は東路とこそ聞きしかど心づくしの関にぞありける さかき葉のゆふしでかけしその神にを(お)しかへしても似たるころかな いまはたゞ思ひたえなんとばかりを人づてならでいふよしもがな |
またおなじ所に結び付けさせ侍ける |
みちのくの緒絶の橋やこれならんふみみふまずみ心まどはす |
後拾遺和歌抄第十四 恋四 |
心変りて侍りける女に、人に代りて
清原元輔 |
契りきなかたみに袖をしぼりつゝ末の松山浪こさじとは |
永承六年内裏歌合に |
うらみわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ |
題不知
源重之 |
松島や雄島の磯にあさりせし海人の袖こそかくはぬれしか |
大納言行成物語りなどし侍けるに、内の御物 忌に籠ればとて、急ぎ帰りてつとめて、鳥の 声に催されてといひをこせて侍ければ、夜深 かりける鳥の声は函谷関のことにやといひに つかはしたりけるを、立ち帰り、これは逢坂 の関に侍りとあれば、よみ侍りける たるによめる
清少納言 |
夜をこめて鳥の空音にはかるとも世に逢坂の関はゆるさし |
後拾遺和歌抄第十八 雜四 |
則光朝臣の供に陸奥国に下りて、武隈の松を よみ侍りける
橘季通 |
武隈の松は二木をみやこ人いかゞ[と]問はゞみきとこたへむ |
陸奥国にふたゝび下りてのちのたび、武隈の 松も侍らざりければよみ侍りける |
武隈の松はこのたびあともなし千歳をへてやわれは来つらむ |
修理大夫惟正信濃守に侍りける時、ともにま かり下りて、束間の湯を見侍りて
源重之 |
出づる湯のわくにかゝれる白糸はくる人たえぬものにぞありける |
後拾遺和歌抄第十九 雜五 |
陸奥に侍りけるに、中将宣方朝臣のもとにつ かはしける
藤原実方朝臣 |
やすらはで思ひ立ちにし東路にありけるものかはゞかりの関 |
小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、 蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りて取 らせて侍けり、心もえでまかりすぎて又の日、 山吹の心もえざりしよしいひおこせて侍ける 返りにいひつかはしける。
中務卿兼明親王 |
なゝへやへ花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき |
後拾遺和歌抄第二十 雜六 |
男に忘られて侍ける頃、貴布禰にまい(ゐ)りて、 御手洗川に蛍の飛び侍けるを見てよめる |
もの思へば沢のほたるもわが身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る |
橘季通陸奥国に下りて、武隈の松を歌によみ 侍けるに、二木の松を、人問はばみきと答へ んなどよみて侍けるを聞きてよみ侍ける
僧正深覚 |
武隈の松はふた木をみきといふはよくよめるにはあらぬなるべし |