2006年茨 城

筑波山神社〜万葉の歌碑〜
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 筑波山梅林から市営第1駐車場に戻り、筑波山神社に行こうと思って市営第2駐車場に行く。


 駐車場は今年の2月1日から有料で、500円。市営第1駐車場と合わせて1,000円も払うことになった。筑波山神社は市営第1駐車場から梅林を抜けて行けたのに、聞いても教えてくれなかった。

筑波山神社随身門


筑波山神社(HP)は延喜式内社

筑波山神社拝殿


 西峯男体山頂(標高871m)に筑波男大神伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、東峯女体山頂(標高877m)に筑波女大神伊弉冉尊(いざなぎのみこと)を祀り、古来山岳信仰の霊山として栄え、弘仁14年(823年)には官社に列するなど由緒深い神社である。

筑波山神社の境内に万葉の歌碑があった。


橘の下吹く風のかぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも

『万葉集』(第20巻)

丹比真人国人(たぢひのまひとくにひと)がよめる歌


筑波の岳に登りて

鶏が鳴く 東(あづま)の国に 高山は さはにあれども
二神の 貴き山の 並み立ちの 見が欲し山と
神代より 人の言ひ継ぎ 国見する
筑波の山を 冬こもり 時じく時と 見ずて行かば
まして恋しみ 雪消する 山道すらを
なづみぞ 我が来(け)

『万葉集』(第3巻)

また短歌


筑波の岳に登りて、反歌

筑波嶺(つくはね)を外(よそ)のみ見つつありかねて雪消の道をなづみ来(け)るかも

『万葉集』(第3巻)

 平成12年(2000年)11月23日、筑波山神社宮司青木芳郎氏並びに万葉東歌研究会会長大木昇氏によって建てられた新しい歌碑である。

 万葉東歌研究会会長大木昇氏の現代語訳が書いてあったが、ここには掲載しない。

明治10年(1877年)9月3日に建てられた古い歌碑もあった。


菅原道真筆の字を集めて刻んだらしい。

万葉仮名で書かれているが、古い歌碑なので良く読めない。

字体の違いも多少あるが、参考に掲載しておく。

檢税使大伴卿登筑波山時謌一首并短謌

衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君來座登 熱尓
汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 峯上乎 公尓令見者 男神毛
許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎
清照 言借石 國之眞保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之
緒解而 家如 解而曾遊 打靡 春見麻之從者 夏草之 茂者雖在
今日之樂者

反 謌

今日尓 何如將及 筑波嶺 昔人之 將來其日毛

参考までに、訓読は次の通り。

検税使(けむぜいし)大伴の卿の筑波山に登りたまへる時の歌一首、また短歌

衣手 常陸の国 二並ぶ 筑波の山を見まく欲り 君来ませりと 暑けくに
汗かき嘆き 木(こ)の根取り 嘯(うそむ)き登り 峯(を)の上を 君に見すれば 男神(をのかみ)
許したまひ 女神(めのかみ)も ちはひたまひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺(つくはね)
さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の
緒解きて 家のごと 解けてそ遊ぶ 打ち靡く 春見ましよは 夏草の 茂くはあれど
今日の楽しさ

反し歌

今日の日にいかで及(し)かめや筑波嶺に昔の人の来けむその日も

『万葉集』(巻9)

 衣手は袖をひたす(濡れる)意から、同音を含む地名「常陸(ひたち)」にかかる枕詞。

 昭和6年(1931年)2月25日、与謝野晶子は筑波神社を参拝し、「江戸屋旅館(HP)」に泊まっている。

「江戸屋旅館」は寛永5年(1628年)創業の老舗旅館。

筑波山温泉は2001年に開湯。

与謝野晶子が泊まった時は温泉ではなかった。

 明治10年(1877年)9月3日に建てられた万葉の歌碑は与謝野晶子も見たのだろう。

筑波山へ。

2006年茨 城