『奥の細道』
『陸奥鵆』[無都遅登理 五]
元禄9年(1696年)、天野桃隣が芭蕉三回忌にあたって『奥の細道』の跡をたどった紀行文。
元禄10年(1697年)8月、素堂跋。
元禄二巳三月十七(ママ)日、芭蕉翁行脚千里の羈旅趣く。門葉の曽良は長途の天、杖となり柱となり、松嶋・蚶潟を経て、水無月半ば湯殿に詣。北国にかゝれば、九十里の荒磯・高砂子のくるしさ、親しらず子しらず・黒部四十八ヶ瀬、越中に入りてはありそ海、越前に汐越の松、「月をたれたる」と読れしは西上人、是を吟じて炎暑の労をわすれ、
敦賀より伊賀に渡り足も休めず、遷宮なりとて、「蛤のふたみに別れ行あきぞ」と云捨、伊勢に残暑を凌ぎ、又湖水に立帰り、名月の夜は三井寺の門をたゝき、時雨るゝ日は智月がみかの原をすゝめ、兎角すれど爰にも尻を居へ(え)ず、
未の十月下旬東武に趣き、「都出て神も旅寝の日数哉」と吟行して、深川の草扉を閉、ひそかに門を覗ては、「初雪やかけかゝりたる橋の上」など独ごちて、閑に送るもたのし。
然ども老たるこのかみを、心もとなくや思はれけむ、故郷ゆかしく、又戌五月八日、此度は西国にわたり長崎にしばし足をとめて、唐土舟の往来を見つ、聞馴ぬ人の詞も聞んなどゝ、遠き末をちかひ、首途せられけるを、各品川まで送り出、二時斗の余波、別るゝ時は互にうなづきて声をあげぬばかりなりけり。駕籠の内より離別とて扇を見れば、「麦の穂を力につかむ別哉」、行々て尾州荷兮が宅に汗を入、「世を旅に代かく小田の行戻り」と日来(ひごろ)の竟界を云捨、唯一生を旅より旅にして栖定まらず。しかもむすび捨たる草菴は鄙にあり、都にあり。終に身は三津の江の芦花に隠れて、五十年の夢枯野に覚ぬ。其頃は其角お(を)りあひて枯野花に隠し、百ヶ日は美濃如行一集を綴る。一周忌は嵐雪、「夢人の裾をつかめば納豆哉」とあぢきなき一句を吐。
既今年三回忌、亡師の好む所にまかせ、元禄九子三月十七日、武江を霞に立て、関の白河は文月上旬に越ぬ。凡七百里の行脚、是を手向草、所々の吟行、懐旧の百韻、此等は師恩を忘れず、風雅を慕のみなり、紀行の文は『奥の細道』といへる物に憚り、唯名所・古跡の順路をしるし侍る。尤見おとしたる隈々おほし。後の人猶あらたむべし。
桃隣稿
3月17日、桃隣は江戸を立ち、行徳まで川船に乗る。
常夜燈
首途
何国(いづく)まで華に呼出す昼狐
江戸より行徳まで川船、木颪へ着。
行徳から木下へ。木下から夜舟で潮来へ。鹿嶋神宮に参詣。
朱塗りの楼門
句を奉納している。
爰より夜舟にて板久へ上り、一里行て十丁の舟渡、鹿嶋の華表(とりゐ)、海辺に建、神前まで二十四丁。
○奉納 額にて掃や三笠の華の塵
桃隣は筑波山に登り、句を詠んでいる。
女体山頂からの眺望。
麓ヨリ二里登ル、かたのごとく難所、岩潜・岩の立橋・千尋の谷。春夏の中、巓ニ茶屋五軒、魚肉酒禁断。馬耳峯の間十丁余有、頂上ニ登て四方を見るに眺望不斜(ななめならず)。
右の外、霊山の奇瑞おほし。
○土浦の花や手にとる筑波山
○筑波根や辷(スベツ)て転(コケ)て藤の花
神橋
是ヨリ宇津宮へ出て日光山。
御山へ登れば案内連ル。神橋、山菅橋と云。
東照宮
憾満ヶ淵
桃隣は日光から中禅寺湖まで登り、句を詠んでいる。
中禅寺湖
馬返迄二里、上一里ハ難所、巓ニ権現堂・立木観音・牛石・神子石・清滝・湖水。
黒髪山、則此所也。三四月にも雪降。
黒髪山
○花はさけ湖水に魚は住ずとも
○鶯は雨にして鳴みぞれ哉
○雪なだれ黒髪山の腰は何
寂光の滝
寂光寺、日光ヨリ一里。本尊弁財天、外ニ権現堂、左の方に滝有。
○千年の滝水莓(こけ)の色青し
裏見の滝
此所を半里戻り、又奥山へ分入。日光四十八滝の中第一の滝あり。遙に山を登て、岩上を見渡せば、十丈余碧潭に落。幅は二丈に過たり。窟に攀入て、滝のうらを見る。仍(よつて)うらみの滝とはいへり。水の音左右に樹神(こだま)して、気色猶凄し。
○雲水や霞まぬ滝のうらおもて
4月1日、桃隣は日光から大田原を通り、黒羽に出て句を詠んでいる。
日光ヨリ今市へ出、大田原へかゝりて、那須の黒羽に出る。此所に芭蕉門人有て尋入。
卯月朔日 雨
○物臭き合羽やけふの更衣
はてしなき野にかゝりて
○草に臥し枕に痛し木瓜の刺
道より便をうかゞいひて
○黒羽の尋る方や青簾
浄法寺桃雪邸跡
行々て、舘近、浄坊寺雪桃子に宿ス。
翌日興行
○幾とせの槻(けやき)あやかれ蝸牛
那須神社
与市宗高氏神、八幡宮は館ヨリ程近し。宗高祈誓して扇的を射たると聞ば、誠感応弥増て尊かりき。
○叩首(ぬかづく)や扇を開き目を閉(フサギ)
玉藻稲荷神社
玉藻の社 稲荷社、此所那須の篠原、犬追ものゝ跡有、館より一里許行。
○法楽 木の下やくらがり照す山椿
桃隣は黒羽から那須温泉へ。
那須温泉 黒羽ヨリ六里余、湯壺五ツ、両町ノ間ニアリ。権現・八幡一社ニ籠ル。麓ニ聖観音。
殺生石
殺生石 此山間割レ残りたるを見るに、凡七尺四方、高サ四尺余、色赤黒し。鳥獣虫行懸り度々死ス。知死期ニ至リては、行逢人も損ず。然る上、十間四方ニ囲て、諸人不入。辺の草木不育、毒気いまだつよし。
○哀さや石を枕に夏の虫
○汗と湯の香をふり分る明衣哉
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