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芝不器男ゆかりの地

『定本芝不器男句集』

 「不器男」の命名は『論語』の「子曰、君子不器」(子曰く、君子は器ならず)による。

 明治36年(1903年)4月18日、愛媛県北宇和郡明治(あけはる)村(現:松野町)の庄屋の家に生まれる。

 大正5年(1916年)、宇和島中学校(現:宇和島東高校)に入学。

 大正9年(1920年)、宇和島中学校4年終了で、松山高等学校(現:愛媛大学)に入学。

 大正12年(1923年)、東京帝国大学林学科に入学。

 大正12年(1923年)9月1日、帰省中に関東大震災。東京帝国大学休学。

 大正14年(1925年)、東京帝国大学から東北帝国大学工学部機械工学科に転じ、瑞雲寺に寄宿する。『天の川』に投句を始める。

 大正15年(1926年)夏、日光より戦場ヶ原に遊ぶ。

 大正15年(1926年)9月24日、仙台に着く。秋、蔦温泉に遊ぶ。『ホトトギス』に投句を始める。帰省し、そのまま仙台に戻らなかった。

 昭和2年(1927年)、東北帝国大学に除籍処分を受ける。

 昭和3年(1928年)、伊予鉄道電気副社長太宰孫九の長女文江と結婚。

 昭和4年(1929年)、睾丸炎を発病、九州帝国大学附属病院後藤外科に入院。吉岡禅寺洞に逢う。退院後、主治医横山白虹の治療を受ける。

 昭和5年(1930年)2月24日、26歳で没。

 昭和9年(1934年)、『不器男句集』(横山白虹編)刊。

 昭和30年(1955年)2月24日、芝不器男の句碑建設。

 昭和45年(1970年)、『定本芝不器男句集』刊。

 昭和63年(1988年)、芝不器男記念館開館。

芝不器男君は、俳壇に流星のごとく現はれて流星のごとくに去つた、若き熱情の作家である。

吉岡禅寺洞『不器男句集』序

横山白虹は「彗星(コメット)の如く俳壇の空を通過した」と評している。

あなたなる夜雨の葛のあなたかな

瑞雲寺(宮城県仙台市)

白藤や堀りやみしかばうすみどり

伊達博物館(愛媛県宇和島市)

桑原に登校舟つく出水かな


川蟹の白きむくろや秋磧
   
卒業の兄と来てゐる堤かな

   


虹の森公園(愛媛県北宇和郡松野町)

うまや路や松のはろかに狂ひ凧

町民センター(愛媛県北宇和郡松野町)

汽車見えてやがて失せたる田打ちかな
   
寒鴉己が影の上におりたちぬ

   


松丸駅(愛媛県北宇和郡松野町)

泳ぎ女の葛隠るまで羞ぢらひぬ


ふるさとや石垣歯朶耳春の月
   
永き日のにはとり柵を越えにけり

   


旧松野温泉下(愛媛県北宇和郡松野町)

柿もぐや殊にもろ手の山落暉
   
筆始歌仙ひそめくけしきかな

   


芝不器男記念館(愛媛県北宇和郡松野町)

ふるさとの幾山垣やけさの秋

永昌寺(愛媛県北宇和郡松野町)

あ奈た奈る夜雨の葛のあなた可南
   
澤の邊に童と居りて蜘蛛合

   


風鈴の空ハ荒星は可りか奈


松野西小学校(愛媛県北宇和郡松野町)

泳ぎ女の葛隠るまで羞ぢらひぬ

諏訪神社(愛媛県南宇和郡愛南町)

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