松根東洋城ゆかりの地


いつくしめは叱るときけるさむさかな

宇和島市文京町に宇和島東高校がある。


 明治9年(1876年)、変則中学南予学校(南予変則中学)設置。

 明治29年(1896年)、愛媛県尋常中学校南予分校設立。

 明治32年(1899年)、愛媛県宇和島中学校となる。

 大正9年(1920年)、富澤赤黄男は宇和島中学校を卒業。

 大正9年(1920年)、芝不器男は宇和島中学校を卒業し、松山高等学校(現:愛媛大学)に入学。

宇和島東高校に松根東洋城の句碑があった。


  いつくしめは
叱るときける
 寒さかな

昭和39年(1964年)10月28日、松根東洋城は87歳で死去。

昭和41年(1966年)、句碑建立。

句碑建立由來記

昭和40年3月、金剛山大隆寺に於て、松根東洋城の納骨式が営まれた際、その俳諧の門下村上壺天子先生が、師の

  『いつくしめは叱るときけるさむさかな』

の句を披露、もって昭和8年落葉荘で、城師がこの俳句を生み出されるに至った事情を明らかにして、東洋城先生の深い師愛を、感激の言葉をもって述べられたのであった。

たまたま末席で、これを拝聴し、校長として生徒を本校の伝統にふさわしく育成しなければならないと決意して、激しい意欲と幸福とに、自らを鞭っていた私には、まことに卒然と耳にしたこの俳句に無量の感慨を抱いたばかりでなく、ある共感に胸迫る想いを禁じ得なかったのである。

生徒は仰げば尊き、いつくしみの師恩に感謝し、教師は東洋城先生が、その弟子に示された汲めども盡きぬ深い深い愛情を己が生徒に対する愛情とするように念願して、開校90周年創立70周年記念事業の一環として、ここにその句碑を建立するに至ったのである。

揮毫は村上壺天子先生の筆になるものである。

昭和59年(1984年)12月26日、村上壺天子は97歳で永眠。

JR予讃線特急「宇和海」宇和島駅


松根東洋城ゆかりの地に戻る