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団子坂〜『三四郎』〜

東京メトロ千代田線千駄木駅から団子坂を上る。


坂の途中に文京区教育委員会の案内板がある。


団子坂

文京区千駄木2丁目と3丁目の境

 七面坂、千駄木坂、七面坂の別名がある。

 「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ふ云々」

(御府内備考)

 「団子坂」の由来は、坂近く団子屋があったともいい、悪路のため転ぶと団子のようになるからともいわれている。また、『御府内備考』に七面堂が坂下にあるとの記事があり、ここから「七面坂」の名が生まれた。「七面坂」は坂上から東京湾の入江が望見できたためと伝えられている。

 幕末から明治にかけて菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期であった。また、この坂上には森鴎外夏目漱石高村光太郎が居住していた。

−郷土愛をはぐくむ文化財−

東京都文京区教育委員会   平成10年3月

『御府内備考』は江戸の地誌。文政12年(1829年)完成。

明治32年(1909年)、正岡子規は団子坂を句に詠んでいる。

   團子阪

菊園に天長節の國旗哉

『俳句稿』(明治32年)

「団子坂」と「菊人形」は夏目漱石の『三四郎』に出ている。

 ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂の上から、左へ折れて千駄木林町の広い通りへ出た。

『三四郎』(四)

千駄木林町高村光太郎が居住していた所。

 坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。

『三四郎』(四)

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