旅のあれこれ


大隈重信

 天保9年(1838年)2月16日、佐賀藩士信保の長男として、城下町・会所小路に生まれる。

 弘化元年(1844年)に藩校「弘道館」に入学。

 慶応3年(1867年)、英学塾「蕃学稽古所」で副島種臣らとアメリカ人教師フルベッキに学ぶ。

 明治2年(1869年)2月、三枝綾子と結婚。

 明治6年(1873年)10月25日、参議兼大蔵卿になる。

 明治14年(1881年)、国会開設の意見書を提出して薩長勢力と対立、参議を解任された。「明治十四年の政変」

 明治14年(1881年)、早稲田大学前身・東京専門学校を設立。

 明治21年(1888年)、黒田内閣の外務大臣として入閣、不平等条約改正に全力を傾けるが、不満を持つ暴徒に爆弾を投じられ、右脚を失う。

 明治28年(1895年)、進歩党を作り、一大野党勢力を結集した。

 明治30年(1897年)、大磯に別荘を構えた。

 明治31年(1898年)、第1次大隈内閣。「隈板内閣」

   新内閣成

號外や晝寐の夢を驚かす

『俳句稿』(明治三十年 新年)

 明治40年(1907年)、早稲田大学総長に就任。

 大正2年(1913年)5月、榎本武揚像建立。建設者に大隈重信、渋沢栄一などが名を連ねている。

 大正3年(1914年)4月16日、76歳で再び内閣を組閣。

 大正3年(1914年)12月20日、東京駅開業。

 大正4年(1915年)8月10日、内閣改造。加藤友三郎が海軍大臣に就任。

 大正10年(1921年)9月4日から風邪気味となり、衰弱していった。

   旅中たまたま新聞にて大隈侯の病あつしと知りて

わせだ なる おきな が やまひ あやふし と

かみ も ほとけ も しろし めさず や


 大正11年(1922年)、1月10日、84歳をもって世を去る。

東京駅

(東京都千代田区)

早稲田大学

(東京都新宿区)

旧大隈重信別邸跡

(神奈川県中郡大磯町)

大隈重信

駅前まちかど広場(佐賀市駅前中央)

義祭同盟之碑

楠神社(佐賀市白山)

佐賀市大隈記念館

(佐賀県佐賀市)

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