2022年京 都

円山公園 〜坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像〜
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地下鉄東西線「東山駅」下車。

知恩院三門の写真を撮る。


円山公園へ。


円山公園に坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像があるというので、見に行く。

坂本龍馬先生 中岡慎太郎先生


贈正四位坂本龍馬先生贈正四位中岡慎太郎先生銅像銘

 土佐藩士坂本龍馬先生・中岡慎太郎先生は維新回天の偉業達成の為に最も重要な業績を遺しながら、惜しくも大政奉還の後僅かに三旬を経た慶応3年11月15日、旧幕士の為に京都に斃れた。坂本先生は、特に海外の情勢に鑑みて海軍操練所の設立につくし、自ら海援隊長となり、更に西郷・木戸の間を斡旋して薩長両藩を連合させ、藩主山内容堂を動かして慶応3年10月14日大政奉還の建白を実現せしめた。

 先生がかつて長崎に於いて後藤象二郎に示した八策が、明治天皇によって宣布せられた五ケ条の御誓文の基底をなしたことは、即ち先生の卓抜した経国の理念を知るに足るものである。

 中岡先生もまた陸援隊長となり坂本先生と共に薩長土同盟の達成を見るに至らしめた。

 両先生は単なる軍国主義者ではなく、始めてわが国議会政治の確立を唱え、外交の重要性を力説して、海運貿易の発達に伴う内外経済の平衡と文明開化を熱望し、以て国勢の興隆に率先推進した大先覚者であった。殊に坂本先生は、その平日愛誦した「天我レニ自由ヲ与ヘヨ。然ラズンバ死ヲ授ケヨ」との自作の詩の一節にある如く、わが国に於ける自由主義の先駆をなし、その影響が、最も強く板垣退助に及んでいることは顕著な事実である。

 しかるに、両先生の建軍の趣意は昭和軍閥にゆがめられ、銅像も戦時中に撤去の厄に遭った。

 坂本先生は32才、中岡先生は29才をもつて賊害されたが、その不朽の鴻業と高邁なる識見とは永く萬人の軌範と仰ぐべきところであることを確信して、こゝに銅像を再建し顕彰の実を挙げんとするものである。

 昭和37年(1962年)5月3日、京都高知県人会長川本直水再建。原型製作者菊池一雄。題字吉田茂

四条大橋へ。

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