旅のあれこれ
板垣退助ゆかりの地
天保8年(1837年)4月17日、土佐藩上士乾正成の嫡男として、高知城下中島町(現:高知市本町)に生まれる。 明治4年(1871年)、維新三傑の西郷隆盛・木戸孝允・大久保利通を寅賓館に迎えて、薩長土首脳会談がおこなわれる。 明治7年(1874年)1月、民選議院設立建白書を左院に提出したのち帰高。立志社を創設。 明治14年(1881年)10月、自由党総理に推される。 明治15年(1882年)4月6日、東海道を遊説の途上、岐阜中教院で暴漢に刺された。後藤新平が板垣退助を診察しているそうだ。 明治20年(1887年)5月、伯爵を授けられる。一代限りで拝辞した。 明治31年(1898年)、第1次大隈内閣。「隈板内閣」 大正8年(1919年)7月16日、83歳で死去。品川神社の裏に板垣退助の墓所があるそうだ。 |