2018年〜高 知〜
山内神社〜「大政奉還を喜ぶ山内容堂公」の像〜
孤蝶馬場勝弥は明治2年11月8日高知城下中島町西詰に生まれた。兄辰猪の気概をうけつぐと共に文学的資質に恵まれ、藤村や樋口らと交わり、小説・詩・評論・随筆・小唄・外国文学にわたる広い領域で活躍、人権・社会主義を求めて生きた。昭和15年6月22日東京渋谷区松涛町で没す。享年70歳。 |
明治26年(1893年)2月23日、島崎藤村は高知を訪れる。馬場孤蝶の自宅に4泊した。 |
澤村家は、藩主山内豊昌公より豊信公の世まで7代にわたり典医として仕えた。 先生は大正3年12月1日高知市水通町76番地に生る。本名良高。澤村家九代。医学博士。俳誌龍巻主宰。高濱虚子・高野素十門。ホトトギス同人。 |
土佐十五代藩主山内容堂(豊信) |
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1827〜1872 |
幕末激動の時勢に際し、その識見と才能をもって国事に参与。幕末四賢侯の一人として天下に名を馳せる。慶応3年10月、大政奉還を建白し維新への扉を開く。 |
明治4年(1871年)1月19日、板垣退助・福岡孝弟が開成館で西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允らと会談。薩長土三藩の協力で御親兵献上が決定した。 |
一 昔 近衛兵ありき 御垣守とて歌に詠まる |
二 明治四年 薩長土三藩 兵を献じ 近衛兵となる |
三 明治七年 徴兵制による近衛部隊編成さる |
四 明治二十四年 近衛師団新編 国軍の中堅となり |
兼ねて禁闕守衛と儀仗の重責を負う |
五 我等土佐の健児 選ばれて栄光を担い 郷関を出で 至尊に咫尺し |
また戦野に若き血を燃しつ |
六 昭和四十四年 高知県近衛会を結成 戦後の再建に微力を尽くす |
経済大国となるも 他面史観と倫理観の確立を望み |
思いをこの一碑に託す |
御垣守近衛健児の赤心をこの碑に託す祖国永久なれ |