旅のあれこれ
中岡慎太郎ゆかりの地
天保9年(1838年)4月13日、土佐国安芸郡北川郷柏木村(現:高知県安芸郡北川村柏木)に北川郷の大庄屋・中岡小傳次の長男として生まれる。 安政2年(1855年)、武市瑞山(半平太)の道場に入門して剣術を学ぶ。 文久元年(1861年)、武市が結成した土佐勤王党に加盟。 文久3年(1863年)8月18日、八月十八日の政変。 文久3年(1863年)9月、中岡慎太郎は脱藩。19日、三田尻の招賢閣に入る。21日、七卿に謁す。 文久3年(1863年)9月21日、「京師の沙汰により」の名目で土佐勤王党幹部に対する逮捕命令が出される。 元治元年(1864年)7月19日、禁門の変で負傷。 慶応3年(1867年)3月、坂本龍馬と共に土佐藩から脱藩の罪を赦免される。 慶応3年(1867年)7月27日、京都白川土佐藩邸に浪士たちを集め、陸援隊を組織し、自ら隊長となる。 慶応3年(1867年)11月15日、京都近江屋にて坂本龍馬と面談中、刺客に襲われ重傷を負い、2日後に死去。享年30。 昭和10年(1935年)5月、高知縣青年中岡慎太郎先生像建立。作者本山白雲。 昭和37年(1962年)5月3日、京都高知県人会長川本直水贈正四位坂本龍馬先生贈正四位中岡慎太郎先生銅像再建。原型製作者菊池一雄。題字吉田茂。 |