2010年滋 賀

彦根城〜井伊直弼〜
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JR彦根駅前に井伊直政の像がある。


井伊直政公像

 永禄4年(1561年)現在の静岡県井伊谷に生まれ、幼少の頃から文武両道に励み、慶長5年(1600年)に徳川四天王の一人として天下分け目の合戦で知られる関ケ原の戦で功をあげ、石田三成の居城であった佐和山城を与えられ、18万石の大名となった。

 その後、城を現在地の彦根山へ移そうとしたが、同7年(1602年)41歳で病没し、子らが直政の遺志を受け継ぎ20年の歳月を費やし元和8年(1622年)彦根城を完成させた。

 こうして、彦根35万石初代藩主井伊直政公は、今日の彦根市発展の礎を築いたのである。

彦根市金亀町に彦根城があるので、行ってみた。


 慶長9年(1604年)、徳川家康公の命により着工、20年の歳月をかけて築城されたそうだ。

慶長12年(1607年)頃には天守が完成したとされている。

平成19年(2007年)、彦根城築城400年祭。

佐和口多聞櫓へ向かう通りに井伊直弼の歌碑があった。


あふみの海磯うつ波のいく度か御世にこころをくだきぬるかな

 安政7年(1860年)の正月(同年3月18日に万延と改元)、直弼は正装姿の自分の画像を御用絵師狩野永岳に描かせ、この自詠の和歌を書き添えて、井伊家菩提寺の清凉寺に納めたと伝えられる。

 この歌は、琵琶湖の波が磯に打ち寄せるように、世のため幾度となく心を砕いてきたと、幕府大老として国政に力を尽くしてきた心境をあらわしている。

 直弼は、この2ヶ月後の3月3日、江戸城桜田門外で凶刃に倒れた。

彦根城の城壁


あいにくの曇り空。

長い石段を登る。


天守閣


青空でないのが残念だ。

 近世の城で天守が残っているのは、12城。松本犬山、彦根、姫路の4城の天守は国宝である。

明治38年(1905年)10月2日、長塚節は彦根城天守閣に登っている。

   天主閣にのぼる

名を知らぬ末枯草の穗に茂き甍のうへに秋の虫鳴く

   夕、彦根を去らむとして湖水をのぞむ

比良の山ながらふ雲に落つる日の夕かゞやきに葦の花白し

彦根城の石垣


玄宮園


井伊直弼の像


井伊直弼

 開国の英雄井伊直弼は、文化12年(1815年)に彦根城下の下屋敷(槻御殿)に生まれ、嘉永3年(1850年)36歳で彦根藩主となり、安政5年(1858年)には江戸幕府の大老職となった。同年6月、直弼は我国の将来を考えアメリカとの開国を英断。この大偉業をなしとげた直弼は、心情をくむことのできなかった人々によって安政7年(1860年)3月3日桜田門外で暗殺され46年の生涯に幕を閉じた。

井伊文子の歌碑があった。


一身に責負ひまして立ちましし大老ありてこそ開港はなりぬ

 井伊文子は尚昌の子女で、琉球国王尚泰の曾孫。歌人、随筆家。佐佐木信綱のもとで短歌を学ぶ。井伊直愛(元彦根市長)と結婚。

花の生涯記念碑


 世情騒然たる幕末に、開国の英断を下した大老井伊直弼の波乱に富んだ一生を画いた小説「花の生涯」(作者舟橋聖一)が発表され、人々に深い感銘を与え、映画・演劇として、また、特にNHKテレビドラマを通じて世の絶賛を博し、「花の生涯」ブームをもたらした。このことを記念して昭和39年10月25日に建立されたものである。中央の四角い石を大老井伊直弼にみなし、左右の低い石を長野主膳と村山たか女とし、キラキラと輝く砂は雪をあらわし、波乱にみちた「花の生涯」を物語っている。

『花の生涯』が井伊直弼の一生を画いた小説とは知らなかった。

 明治37年(1904年)12月25日、舟橋聖一は本所区横綱町2丁目2番地に生まれた。

彦根市立図書館内に「舟橋聖一記念文庫」がある。

二季咲桜


 昭和47年4月に水戸市(友好都市)より寄贈されたもので、冬(11月から1月)と春(4月から5月)の年2回開花します。

ひこにゃん


彦根城築城400年祭のキャラクター「ひこにゃん」です。

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