私の旅日記〜2006年〜
勿来の関跡〜猩猩袴〜
国道6号から勿来海水浴場で坂道を上ると、勿来の関跡がある。
奥州勿來舊崇趾
勿来の関は白河関・念珠(ねず)ヶ関とともに奥羽三関のひとつで、歌枕。
文政年間(1819〜29)、酒井素英と小野洞月が関跡と認定したそうだ。
源義家像
勿来の関の「詩歌の小径」に歌碑や句碑があった。
小野小町の歌碑
みるめ刈る海人の往来の湊路に勿来の関もわが据なくに
『新勅撰和歌集』
『新勅撰和歌集』は第9番目の勅撰和歌集。
小野小町の歌の向こうに常陸の海が見える。
小野小町の歌で勿来の関は歌枕として知られるようになったようだ。
源義家の歌碑
陸奥国にまかりける時、勿来の関にて花の散りければよめる。
吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな
『千載集』
寛文2年(1661年)7月20日過ぎ、西山宗因は勿来の関を越えて松島へ向かった。
身をうき草のさそはるゝかたもなくて、こゝろのゆくところにまかせて、春過秋来、既文月二十日余には、みちのくのなこその関をこえて、なにがしの城下にいたる。
「松島一見記」
芭蕉の句碑
風流の者しめや於久能の田植う多
享保元年(1716年)、稲津祇空は常盤潭北と奥羽行脚の帰途勿来の関を訪れている。
天保15年(1844年)、西馬は奥州行脚の途上、勿来を訪れている。
勿来古関
若葉にも鳴や勿来の呼子鳥
嘉永5年(1852年)1月23日、吉田松陰は勿来の関を越える。
勿來の故關を越ゆ。故關は山上に在りて、今の道は則ち山下の海濱なり。