2023年岡 山

笛吹川歌碑公園〜碑巡り〜
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誕生寺から道標に従って笛吹川歌碑公園へ。

直原七面山の句碑があった。


法然上の
遺徳を
偲ぶ鐘の音

昭和63年(1988年)11月、建立。

笛吹川歌碑公園の遠景


長寿橋を渡る。

八重桜が咲いていた。


片目川沿いに100基以上の文学碑・歌碑が立ち並んでいた。

知っている人の碑を探すのが大変だった。

額田女王の歌碑


茜草指(茜さす)
 武良前野逝(紫野の行き)
    標野行(標野行き)
 野守者不見哉(野守は見ずや)
   君之袖布流(君が袖振ふる)
孝書

出典は『万葉集』(巻1)。

 天智天皇7年(668年)5月5日、近江国蒲生野(滋賀県八日市市)に狩猟された時の歌。

犬養孝は文化功労者・大阪大学名誉教授。

平成10年(1998年)10月3日、91歳で没。

平成12年(2000年)10月、美作万葉の会建立。

犬養木堂の漢詩


雲従無心来
 還向無心去
無心無処尋
 奠覧無心處
犬養毅

よく読めない。

吉備津神社の駐車場に犬養毅(つよし)の銅像がある。

小川未明の詩碑


雲のごとく高く
くものごとくかがやき
雲のごとくとらわれず

小川未明は児童文学作家。本名は健作。

明治15年(1882年)4月7日、新潟県高田五分一町(現:上越市幸町)に生まれる。

この詩の碑は上越市の春日山神社にもある。

香川進の歌碑


花もてる夏樹のうへ
をあゝ時がじいん
じいんと過ぎてゆ
くなり

『氷原』所収。 「敗戦とその後」 の中の一首。昭和20年作。

香川進は香川県多度津町出身の歌人。前田夕暮に師事。

平成10年(1998年)10月13日)、89歳で没。

斎藤茂吉の歌碑


二つ居りて啼く
こゑ聞けば相
呼ばふ鳥がね悲
し山の月夜に

出典は『ともしび』。

 大正15年(1926年)8月、斎藤茂吉は第3回アララギ安居会の折、埼玉県秩父市の三峯神社を訪れた。

佐藤佐太郎の歌碑


夜もすがら口中に
異物無く眠るわが
境涯の安けさあはれ

佐藤佐太郎は斎藤茂吉に師事。

昭和62年(1987年)8月8日、没。

佐藤春夫「笛吹川」


屋敷をとりめぐる清流は、領主の居館に近い
庄民の家々の用水として、その軒下の小溝に
分かれ、流れた末は、やがて北の庄から南流
して、耕地の上方二つの池に貯へられ、温め
られて田に流れ入り、そこから南の庄をうる
ほした末は、野末に行くにまかしている。

詳細は不明。

正岡子規の句碑


 鴬や
山をいづれぱ
   誕生寺

出典は『寒山落木 巻一』(明治二十四年 春)。

明治24年(1891年)3月29日、正岡子規は安房の誕生寺を訪れた。

三好達治の詩碑


山なみ遠に春はきて
辛夷の花は天上に
雲は彼方に帰れ共
帰るへ知らに越ゆる路

出典は詩集『花筐(はながたみ)』。

結城哀草果の歌碑


山行くはたのし
からずや高山の
青雲恋ひて
今日も山ゆく

明治26年(1893年)10月13日、山形県山形市菅沢に生まれる。

大正3年(1914年)、斎藤茂吉に入門。

昭和43年(1968年)、斎藤茂吉記念館開館。

昭和49年(1974年)6月29日、死去。

 宮柊二「赤き柿食へば歯に沁みおもほゆる雪乱れ降るわれがふるさと」の歌碑もあったようだが、分からなかった。残念である。

勢至堂に出た。

2023年岡 山