父君 漆間時国公 菩提院殿源誉時国西光大居士 保延7年3月19日命終御齢43歳 母君 秦 氏 君 解脱院殿空誉秦氏妙海大法尼 久安3年11月12日命終御齢37歳 |
保延7年春3月、稲岡庄預所、明石源内武者定明は漆間一族との対立関係から突然の夜襲に及んだ。時国公は深手をおい、吾子9才の勢至丸に定明を敵として追うことを戒め、出家して自からの解脱を求める様、遺言され43才の人生を終えられた。 9才より奈義の菩提寺に修行し15才に成長した勢至丸は、久安3年の春、比叡山に登るため母に別れをつげた。その秋、37才の若き身をもって母秦氏君は病没された。 父時国公の尊い遺言、母秦氏君との決別、かくして万民救済の念仏元祖、法然上人が世に送り出されることとなったのである。 |