2004年群 馬

草津温泉〜湯 畑〜

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草津温泉「大阪屋」から湯畑へ。

 草津温泉には日本武尊(やまとたけるのみこと)の開湯伝説と源頼朝の開湯伝説がある。

 日本武尊が東国征伐の帰途草津周辺の山々や里を歩くうちに、谷間にもうもうと立ち上る湯煙を見つけた。日本武尊は傍らの石に腰を下ろし、湯につかったと言われる。

 白根火山ゴンドラ山麓駅に白根山の山頂で日本武尊が亡き弟橘媛を偲んで流した涙がシャクナゲになったという神話にちなんで建てられたという山媛呼の碑がある。

 建久4年(1193年)源頼朝が三原野で狩りの最中に草津に立ち寄り、温泉を発見したと伝えられる。案内した細野御殿之助は湯本の姓を与えられ、草津の統治を任ぜられたという。

草津温泉の湯畑


あまりにも有名である。

 湯畑の周囲に日本武尊(やまとたけるのみこと)源頼朝を初めとして、草津を訪れた人の名前が書かれている。

柴屋軒宗長

 文亀2年(1502年)2月26日、宗長は師の宗祇を携えて越後から帰る途次、草津へ。宗祗は伊香保へ。

 上野国草津と云湯に入て、駿河国に罷らんのよしおもひ立ぬる。


 永正6年(1509年)9月12日、宗長は大戸から再び草津へ。

 大戸といふ所、浦野三河守宿所に一宿して、九月十二日に草津へ着きぬ。


小林一茶・田川鳳郎・川村碩布

 小林一茶は草津の俳人黒岩鷺白と親交があり両三度草津を訪れている。光泉寺に登る石段の途中に一茶の句碑がある。天保11年(1840年)、田川鳳郎は草津を訪れている。川村碩布も草津で句を詠んでいる。

志賀直哉

 志賀直哉は草津に3回訪れている。最初は学生時代の貧乏旅行、2度目は大正11年(1922年)、3度目は戦前。『暗夜行路』の後半は草津の宿で書かれたそうだ。

高村光太郎

 高村光太郎は昭和2年(1927年)、昭和8年(1933年)に草津を訪れている。昭和2年には「草津」という詩を作った。囲山公園に「草津」の詩碑がある。

大町桂月・川端龍子

 大町桂月が草津を訪れたのは明治41年(1908年)晩秋、川端龍子は大正5年(1916年)。

野口雨情・竹久夢二・西条八十

 昭和3年(1928年)に野口雨情、昭和4年(1929年)に竹久夢二、昭和5年(1930年)に西条八十が草津を訪れている。

斉藤茂吉・与謝野鉄幹・晶子

 斉藤茂吉は昭和8年(1933年)。西の河原に歌碑がある。与謝野鉄幹・晶子は昭和8年8月8日、川原湯温泉から草津温泉を訪れ、「一井旅館」に泊まっている。

高峰三枝子・上原謙

 昭和62年(1987年)、高峰三枝子が草津を訪れた。昭和56年(1981年)、高峰三枝子と上原謙の「フルムーン」のポスターが話題を呼んだ。このポスターで法師温泉は一躍有名になった。

 上原謙が初めて草津を訪れたのは、昭和28年(1953年)。

暮坂高原「花楽の里」へ。

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