高村光太郎ゆかりの地
草津町〜囲山公園〜
高村光太郎は草津を何回か訪れているが、昭和2年(1927年)7月には十数日滞在している。この時「草津」という詩を作った。 昭和8年(1933年)5月には夫人智恵子とともに入湯し、「智恵子には草津の湯がいいようだ。」と手紙の中に書き残している。昭和6年(1931年)智恵子45歳の時、精神分裂の兆候が現われだしていた。 この碑は「草津」原稿全文を光太郎の自筆でパネルにしたもの。平成2年(1990年)建立。 高村光太郎は昭和2年、昭和8年ともに「望雲館」に宿泊している。当時「望雲館」湯畑の前にあったが、火災の焼失。現在の「ホテル望雲」は湯畑から徒歩3分ほどの高台にある。 |
昭和8年(1933年)9月には斎藤茂吉も「望雲館」に2泊している。 |