芭蕉の句
かれ朶に烏のとまりけり秋の暮
出典は『阿羅野』(巻之四)。
延宝8年(1680年)、芭蕉37歳の句。
談林俳諧から芭蕉独自の俳諧確立の萌芽を示す句として注目されている。
素堂との付合がある。
枯枝に烏のとまりけり秋のくれ
| はせを
|
|
鍬かたけ行雰の遠さと
| 素堂
|
野渡无人舟自横といふ詩は無形の畫なり。空しき舟に鷺をのせて及第せし畫は有形の詩也。此景情飲水冷暖自知するが如く、しる人は知り見る人は見る。されば西行上人は秋の夕ぐれを、岨の立木の鳩の聲に五百年ノ前に聞、芭蕉老人は枯枝の烏に秋の暮を五百年の後に見る。たゞ一器の水を一器に移せり。
枯朶に烏のとまりけり秋の暮
| 芭蕉翁
|
|
木棉(キワタ)且ツゑむ田の中の畑
| 越人
|
枯枝に烏のとまりけり秋の暮
此句ハ季吟はせを素堂一派新立の茶話口傳の一章なり。夫木集に「鳶からすねくらとやせんかねてより我身の肢のおそろしき哉 慈鎮和尚」これらの心によくかなへり。只一とせの花紅葉の栄枯をいふて、人間無常の観想もあるへし
『東日記』(言水撰)に「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」とある。
延宝9年(1681年)6月、『東日記』(言水撰)成立。
福島県矢祭町の旧家の入口に句碑がある。
白髭神社の句碑
長興寺の句碑
木曽三社神社の句碑
宝光寺の句碑
鹿島神宮の句碑
| |
猿橋の句碑
|
| |
|
一心庵の句碑
町民会館の句碑
芭蕉の句に戻る